世界は称賛に値する

日記を書きます

輝かしいものを常に追い続けるべきなのか

 輝かしいものに対する疑い、のようなものを考えてしまったきっかけは、たぶん、輝かしいものを追おうとしない人間がまわりにいること、にあったのだと思う。私の世界観において、輝かしいもの、はそのまま、追うべきもの、であり、追わない理由がなく、追わないとしたら単純に怠惰に負けているだけ、なのだけど、ある種の人間にとって、輝かしいもの、は、そのまま、追うべきもの、を意味するわけではないようなのだ。というのは言ってしまえば強調表現であり、そのことに今さら気づいたわけではもちろんない。とにかく、鈍色でかまわないしそれがいいんだ、という世界観があることを、改めて意識させられる瞬間があったわけである。私の世界観ではその世界観を、怠惰に負けているだけなのではないか、とどうしても捉えてしまう。しかし、そんな風に単純に捉えてようとしてしまうと、だけど本当にそうなのか、短絡的すぎるんじゃないか、という声も同時に聞こえてきてしまうのだった。熟慮に値するし、そもそもおのれの世界観を再点検してみるべきだろう、なんて考えてしまったのは、そのせいだ。私は輝かしいものが好きなんだ世界観、と、俺は鈍色の人生がいいんだよ世界観、を、比較検討し、止揚された道、を探してみたいな、という気分を抱えているのである。複雑な世界をちゃんと見てみたいからだ。