世界は称賛に値する

日記を書きます

意味の意味

 意味というものは人間の認識機構が持つ自動的な機能によって勝手に生成されてしまうものだ、というような認識を以前から持っている。だから、認識する人間がいなくなるならば『意味』と呼べるようなものは存在しなくなるはずだ、と思っているし、認識が人間がいる限り『意味』というものはなくなりようがないのだろう、とも思っている。人生に意味があるのか、というような問いだって、ほとんど無効化している、と言っていい。という位置から見える景色は、はっきり言ってかなり安定している。粗は無論あるだろうと思う。が、間違いの可能性をあまり感じなくなってしまっているのだ。おかげで、安心しきってしまっているのだ。たまにそれが嫌になる。不安になるからだ。さしあたり不備のなさそうな無難な景色の見とれてしまっていて、勘違いに彩られた愚かな解釈を大切に抱き込んでしまっているんじゃないか、という不安を覚えてしまうのだ。