世界は称賛に値する

日記を書きます

綺麗な言葉でおのれを錯覚させる、のとは違う

 綺麗な言葉を弄することで自分を騙してしまうことが良いことだと思えない。のは、おのれに対する欺瞞に気づきやすい人間だからだろうな、と思う。どうせあとで気づいて後悔してしまうんだからあえて行う必要なんてあるまい、と判断しているわけだ。だからといって、綺麗な言葉で表現できるものを、綺麗な言葉で表現することに、躊躇を覚える必要もないんだよな、とふと思う。同じような姿をしているせいか、後者を、なんとなく避けてしまう傾向があるように思えたのだ。違うよな、と思った。正当化のために状況を綺麗な言葉で装飾して満足した気分を錯覚させるのと、綺麗な言葉で語れる状況をきちんと綺麗な言葉で語って満足を覚えるのは、違う、と思ったのだった。無論、見分けるのは困難かもしれない、し、両者を併せ持つ状況もありうるだろう。が、違うのは確かだ。