世界は称賛に値する

日記を書きます

好きだと思わなければ、とか思っているのでは

 ふわりと白い息が中空を漂って消える。ときどき考えていた。好きなものについて『好きだ』と言ってみせることに、たまに違和感を覚えてしまうことがある、ということについて考えていた。好きだと言える理由を自分に言い聞かせることで、胸中の好きを納得させようとしている、というような、妙な想像を抱いてしまうことがあるのだ。好きだと思わなければならない、というような強迫観念があって、それゆえに、私は自己欺瞞機構を働かせることによって『好きだ』と思い込もうとしている、のではないか、というような疑いを抱いてしまう瞬間があるのである。経験的なものだろう、と思う。かつてそういう経験を積んだことがあって、それに嫌悪のようなものを感じている、から、同じことを繰り返さないように用心している、ということなのだろうな、と考える。でもって、こうした検閲によって、最近は軟弱な『好き』がすぐに撤回されていく。ゆえに、私がここのところ抱いている『好き』には結構強靭かつ純粋なものが多いかな、なんて考えていた。