世界は称賛に値する

日記を書きます

好きだと言われたら

 いつからだろうか。電車の中から見る風景がなんとなく好きになった。電車の中から眺める風景に些細な好感を持つようになった。きっかけについてはよく憶えていない。いつからかわからないのもそのせいだ。けれど、電車の中から見る風景って素敵だよね、というような言葉が何らかのきっかけになっていたような気がする。そんなような肌触りを感じるのだった。そんな風に、あれ好きなんだ、とか、あれっていいよね、という話を聞かされて、改めてきちんと認識してみたら、確かに結構いいもんだな、と思えた、というような経験が、数多くある。素敵なものはまだまだたくさん眠っているようだ、と思えるようになったのはそのおかげだ。そして、人の『好き』という気持ちを安易に否定できなくなったのはそのせいだ。午前9時出勤。ひさしぶりに朝の空気を吸い込む。以前の職場へと向かう。新入社員が入った、という話は聞いていた。ようやくきちんと顔を合わせることができた。繁忙期に大変だなあ、と思う。ごくごくシンプルに売場を手伝っていた。とりあえず今月中は手伝いに行っても問題ないようだ。来月以降の予定は不定。状況の変化に合わせる形になるのだろうな、と想像している。わりと手伝いたいなあ、と思う。こういった傾向をもしも『優しさ』と呼べるならば、そういった感情を抱かせてくれるものにこそ感謝すべきではないのか、と最近は考えている。主体的な優しさへの拒否、というような感覚だろうか。無我の境地への憧れのようなものだ、とも言えるかもしれない。