世界は称賛に値する

日記を書きます

信じる根拠のないものを前提にすると決める

 誰も傷つけずに生きていく、と言えば、きっと誰かに、いやそんなの不可能だよ。と言われてしまうだろう。けれど、その意見はあくまでも経験則に過ぎない。そんなもん絶対に不可能だ、と確実な根拠を持って言うことなどできない。論理的にそれを否定しようとするのであれば、その根拠は、人間の認識の外側に求めなければならないからだ。神の眼が必要になってしまうからだ。しかし同時にそれは、それを肯定するための根拠もまた人間の認識の外側に存在する、ということを意味してしまう。つまり、肯定するための絶対的な根拠もまた求めることができない、ということを意味してしまう。けれど、もし『誰も傷つけずに生きていくこと、は、できる』ということを前提に人生を選択していくことが、より良い人生を歩むことに繋がるなら――より良い人生を歩むことに繋がると思えるなら、覚悟を決めてそれを引き受けてしまえばいいのではないか、と考えたのだった。でもって、それが『信じる』ということなのではないか、と最近は考えていたわけだ。