世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年04月26日(日)コイツがダメなやつかどうか

自分を知っている気

もう自分とも長い付き合いになるので、コイツがダメなやつかどうか、そろそろだいたい見切ったかのような気になっているところもなくはないのだけど、採用面接の面接官にほんとうの意味で人間の潜在能力を見極められる力なんてあるはずないのと同じくらい、自分に「自分を見極める」力があるかどうかも、あやしいもんだなと思う。

自分に「自分を判定する」力なんて実はまるでないのだ、ということに気づくことなく、なぜか無邪気に「判定できる」と思いこみ、結果として、見当違いな判定を、自分にぐいぐい押しつけながら、しかもときには、その勘違いが、秘めた可能性まで奪うことになっていたとしたら、そりゃ地獄だ、とは思った。しかも、昨今は、そういう振る舞いを、けっこうやっちゃっていそう。

自分のことは自分がいちばんわかっている、みたいな、ありきたいで乱暴な予断、ろくでもない。反省はしておきたい。

2026年04月25日(土)気づいている、気づいてはいる

ちょっとした助詞の置き方でも一文の印象って明確に変わってくれる。こんなもんでなにが変わるってんだ、と、事前なら思わなくもないけれど、実際にやってみたら、肌感覚としては別物に思えてくるから、使い分けざるをえない。使い分けるのが楽しい局面にもちょくちょく出くわす。

「●●ってだけな気もする」「●●なだけって気もする」のふたつの言い回しに直面して、なにがどう違うのかまったく説明できなかったのだけど、しかし、いま言いたいことでいうと、こっちのほうがおそらく妥当だ、と判定できているのは間違いなかったため、なんとなく困った。なにかを見出してはいるっぽかった。しかしつかみとれなかった。そもそも「出している」「出してはいる」みたいなところで用いる"は"のあつかいには昔から困っているのだった。ことばの意味印象の違いとしてはだいぶ好きっぽいので、なおさら困惑させられる。

2026年04月24日(金)スタートをミスった地図はめんどくさい

書き始めのミス

たとえば説明のため、ぱぱぱと誰かに地図を書いてみせるとき、書き始めの時点でちょっとピントのズレたものを描いてしまったら、軌道修正していくのはだいぶめんどくさい。どの建物を起点にするか、どの物体を目印にしていくか、大通り・迂回路・川・のぼりくだりをどんなふうに捉えるか、縮尺をどれくらいにするか、ミスる要素はたくさんあって、それぞれ、気遣いも違えば、直し方だって違う。スタート・ゴールや全体像を想定せず、無計画に、目先のところから書き始めると、とうぜん、そうなりやすい。

こういうような状況が、文章を書いていくときにもたくさんあるなとは思う。深く考えずに書き始めると、のちのち、帳尻合わせがたいへんになっていく。細かい調整をくりかえしてそれなりのところに収めるくらいなら、ぜんぶご破算にして、最初っから書きなおしたほうがよいことも多い。一度書き切っているなら、全体的な意味の流れが頭に入っているぶん、整った構成に仕立て直すことができて、書きなおしたほうが明らかによくなることも少なくない。

とはいえ、行きつ戻りつする軌跡、紆余曲折や右往左往が、生々しさ・細部、リアリティにつながってくれて、理解の助けになり、共感を呼んで、気持ちよい歯ごたえや手ごたえにつながってくれることも少なくないので、迷う。書きなおすかはだいたい迷う。どっちがよくなるのかなんて見通せたことはない。今後も事前に予測できることはなさそうな気もするので、ずっと迷うことにはなりそう。そんなの迷ってるの時間の無駄じゃないの?感も多少はあるので、うまく方針を立てられるならそうしたいかなとは思う。

2026年04月23日(木)長文も書けない

仕事中の長文

長文を書き連ねるような勢いで問題の根っこを問い直していきたい。物事そのものと関連するところについては、いつだって、しっかりと掘り下げたい。見解のスキマを埋めたい。隙だらけにはしたくない。「なんで?」といくらだって聞き返す。結果として話が長くなってもかまわない。それどころかむしろそのほうが望ましいとすら思う。時間をかけてでも、不安定な足場を押し固めていく。ふらつかないようにする。

というような、へばりつくような問いかけを、仕事中もしていきたいものだとは思った。ぜんぜんできていない気がする。環境的に望まれていないように思えてしまう、というのがひとつある。ふだんから見かける基準やツッコミを見るに、そぐわない感じがある。グズグズしてるなと追い立てられるような空気もある。そもそもそんな丁寧な集中を発揮できる環境がないというのもある。シンプルに気は散る。

じぶん、なにがしたいんだっけ、という問いを持つことすら、稀だ。それがよくないところなんだろう、と反省しそうになったが、反省じゃなく判定にしておこうと思い直す。ぼく自身の問題・欠点としてとらえるよりは、現状把握にとどめておいたほうがたぶんよい。

2026年04月22日(水)平凡な一文が輝く日

謎の魅力を捏造気味

なんの変哲もない一文が、妙に輝いて見えて、少しビックリする。ふだんだったら一ミリたりとも心動かされなかったであろう些細な言い回しが、なぜか、異様に美しかった。いつもは見逃していたけど、今日はそうじゃなかった。理由はうまく言葉にできない。むしろ、「惹かれた」という事実から、遡及的に、特別さを見出そうとする心の動きがあった。なんの変哲もなさすぎて、見出すのは難しかったが、それでも、半ば捏造するようにして、とにかく「惹かれた」事実を肯定するために、特別さを、特殊さを、特異さを、生み出そうとするテンションがあった。こんな挙動になるんだ、と思う。なんでもいいから「すごかった」ことにしないと、「惹かれた」事実が、おかしかったことにされてしまう、という恣意的な調整。

「ふだんは見逃してしまっている特別な輝きに今日だけは調子がよくて気づけた」のか、「ふだんと同じように見えても実は今日だけは環境や文脈に差があったため異質な輝きが発生していた」のか、たぶんどちらかだとは思うけど、実際のところはわからない。

2026年04月21日(火)体勢を・体制を、ちょっとずつ変えていく

作品、本

ある場所に対し、「ここは作品日記を書くところにしよう」と決めていたのだけど、なんとなく手が伸びず、気づけばぜんぜん稼働しなくなってしまい、「だったらその中でも本が好きだし読書に特化させて本日記にしようかな」と、ふと定め直してみたら、ワクワクしながら動けるようになった。明らかに気持ちが前向きになって、道もひらけた。些細な違いに見えていたのに、ぼくにとっては(ぼくの心にとっては)実は大きな違いだったらしい。その違いが容赦なかったし、事前に悟ることもできなかった。

ほんとうに好きっぽいもの、なんとなく擦り寄っているもの、自然体で惹きつけられているもの、気づけばやってしまっているもの。そういう好みの機微を見つめ直すことの大事さに、あらためて気づかされたところがあった。「頭ではわかっていたのに、心/体がわかってなかった」感じ。あるいは、自分の好みの差異をちょっと舐めていた。無自覚なままツマラナイと感じているものの"続かなさ"も理解したので、いらんところはとにかく削ぎ落とし、楽しめる様式に、ゆっくりでもいいから変えていく。それでよさそうだなという体感も、ひさびさに得た。