当たり前提では動かない
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、といったテンションで、まずは垂れ流すように、思いつきをガシガシ書き出していったあと、今度はすぐにチェック作業を開始して、いらんものを、つぎつぎ弾いていく。見直しを進めながら、ためらいなくどんどん捨てていく。そうして、わずかに残るかがやきやきらめきだけをなんとか残す。峻別する。濾過する。純化させる。こういった動作を身体に慣れさせていく必要があるんだろうとは常々思いつつも、むずかしい。難しい。どうしてもためらう。あるいは、なまける。
一発必中、一撃必殺、クリティカルな発言くらい、それなりに繰り出すくらいのことはできるだろうと、楽観し、過信し、そしてさらに背後では間違ったことを言ってしまうことを恐れながら、結果的に緩慢に動いていることが、多い。習慣づいてしまったとも思う。この手の所作を、悪癖ととらえるやり方があるはずじゃん、とは、まず思った。もちろんケースバイケースで、よいほうに働くことだってあるはずだけど、日常の基本的な姿勢をそのどちらかから選べるなら、そりゃ前者のほうがよい。なんにせよ仮説なんて出せるだけだ出したほうがきっとよい。
ひとりの人間から、どんな着眼点が、どんな発想が、どんなひらめきが、出てくるかなんて、わからない。あたりもはずれも予測できない。そしてたぶん、数で言えば、「はずれ」のほうが多いだろう。と考えたときに、「あたり」前提で動くのは、意味がわからんからなあ、とは思った。