世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年03月23日(月)キレイでなめらかな一文目

海外

翻訳小説、読みやすさや読みにくさの問題はとりあえず置いといて、一行目を読み始めたときのワクワク感は、だいたい強い印象だ。なんてキレイでなめらかで素敵な文章!世界の抉り出しかたがエグいね!気持ちいいね!って、よく思わされている。

ほかの区分けで言うと、サイエンスフィクション作品での遭遇率は高いかな。次いでミステリ。このあたりは、趣味や相性の問題な気もしなくはない。世界の描き方が、言葉の選び方が、ぼくにとって(肌に馴染んだもので)好ましく感じやすいフィールドなんだろう。あと、海外小説だと、ジャンル問わず、よい一文目に出会えているような気もしている。

日本

おそらく趣味嗜好と観測範囲の問題なんだとは思うけど、日本の小説では、そこまで衝撃的な一文目に出会うことが、あんまりない。少なくとも、ちょっと少ない。手に取りやすいライトめのエンタメ小説じゃあ、そういう感じが求められていないんだよ、とか、国内小説の一文目によく使われていることばの奥深さに、ただ、いまのぼくがたどり着けていないだけ、とか、かたよって見える理由はあるんだとも思うのだけど、なんにせよ、現状の自分の目線では、いったん、物足りなく感じてしまっているところはある。ちょっと奇抜なものを求めすぎ、好みすぎ、ただひねくれすぎなせいなんじゃないの、っていうところも、まあなくはなさそうだけど。

2026年03月22日(日)そちらから世界がどう見えているか

新しい知見なし

そちらから世界がどう見えているかを教えてほしい、っていうのがぼくの基本的な欲かな。ことばを好む理由とさえ言えると思う。教えてもらうためのことばが原点。インプレッションのためにチラチラまわりをうかがいながら、誘い受けでもしているような言葉には、ぜんぜんそれがない。あなたの本気なところを話してもらえないなら価値がない。そのチラチラ見てくる誘いに乗って、ぼくの知見を伝えたところで、まともに聞いてもらえる気もしないから、そこも不快だし。

2026年03月21日(土)こっち見んなの不快

誘い受け

微妙に間違っていることを言ったり、欠落が目立つことを言ったり、おおざっぱな質問を投げかけてみたり、チラチラ「こっち見んな」案件には(SNSで)よく出くわす。「こっち見んな」ってなぜ思うんだろう、とは思った。複雑な不快さだとは思う。

なんであれ、真面目に向き合って、できるだけ真摯に考え、各自が丁寧な所見を持ち寄るのが楽しいんじゃん、と思っているため、巫山戯たやつや茶化したやつは、シンプルに邪魔なんよ、って気持ちはだいぶありそうかな。そういった言葉でハッとさせられることってあんまりないし。

うーん、そうそう、素直・純粋・真剣な思いや話が好きなんだよな〜、とは思った。なんでも真面目くさって話すのが好きだ。真面目くさった話ばかりじゃツマンナイ勢が大勢いることも知ってはいるので、そういった世界観の人たちとは、たしかに噛み合いにくい。別に、真面目くさったまますべてを貫いて、それ一辺倒で話したいわけでもなく、ジョークもユーモアも大切だと思っているから、うまくやればそこそこ噛み合わせて話せるところもあるとは思うのだけど、面白みの趣味嗜好の違いもある。

ジョークやユーモアと、茶化しは、違うじゃん、といったところが、基本的かつ個人的な判定ではあるのだった。そこをしっかり切り分けて話せているなら、まったく文句はないし、むしろ、好きな場合も多いかなと思う。というか、ひとの気持ちを茶化して「月並みな解釈」に貶めるパターンなんかがときどきあって、それがとにかく嫌なのだ。真剣な意見が聞いてもらえてない光景が嫌いだ。ほかの嫌悪はそこからのただの派生かも。

2026年03月20日(金)科学的の位置づけ難しい

科学的正しい

人間の認知構造を超えた領域にあるであろう(はずの)出来事は、「科学」の範疇に落としこみようがないから、そのへんってどういうふうにやっていくつもりなんだろう、という疑問はなくもない。そういう状況を、「幽霊や超能力、前世、運命、神秘みたいなものだって、あるかもしれないじゃん」って表現したいわけじゃまったくないのだが、とはいえ、加減を間違えると、あっさりそういう言い方になっちゃうところもあって、まあまあ困る。

人類は、科学的検証を施したものにだけ「正しい」と言ってよいようなスタイルでここまでやってきたんだから、その流れに沿って、あなただって、そこに寄り添った言葉選びをしていけばいいだけなんじゃないの、というツッコミは、あると思う。いつからその流れが既定となったのか、ほんとうにそれだけが妥当なのか、今後もその流れだけでやっていけばよいのかは、わからない。ただ、非科学に甘い顔をし始めると、これ幸いと悪用し始めて、世間を騒がし利得を得ようとする人間が出てくるみたいだから、用心のため、ふだんから厳しめに接しておいたほうがよい、ってところは、たしかにありそう。だからってそれもなあ、って気もしなくもないが。事前に潰しておくばかりの方針や手法が中長期で図抜けた選択だったことって、そんなになさそうだし。

2026年03月19日(木)題名は最後につけている

日記の題名

題名を先に書いてそこから日記を考えたことが一度もない、と(別に気づかなくてもよさそうなことに)気づいたが、そもそも日記に題名があるのが変則だ。題名から遡及的に書かれる日記というのも、じゃっかん意味がわからない。まあ、題名で「どこに注力するか」「どこにフォーカスするか」が決まり、そこが基点となって、一日が振り返られるような形状も、考えられなくはないから、不可能や矛盾の話ではないとは思う。そんなやりかたで一回遊んでみても楽しそう。これまで一度くらいは思いついていてもよかった着眼点なのになとは思った。なんで思いつけなかったのか。思いつかなかった理由なんてたどりつけたことないけども。

ほとんど同じ言葉(ではないかも)

発想や着眼を記録しておきたく日記を書いている、と、たとえば書いてみたとき、ここで並べた「発想」「着眼」というふたつの言葉を、似たようなもの、というか、同じ現象のうち、ただ見ている側面が違う、フォーカスしているポイントが違うだけ、みたいに扱ってしまっていることが多く、つまり、手なりで「どうせおんなじことの言い換えでしょ」と投げやりにあつかっているところさえある。

けど、こういう、ほとんど同じ意味じゃん、ただのことばの違いでしょ、って思いこんでいるところこそ、改善の余地がありそうだな、と最近は思うところがあった。たぶんけっこうな弱点だし欠点。視界の粒度を粗くしている元凶みたいな可能性が低くない。話を「聞くに堪えない」ものにしてそう。大転換に向けたささやかな一歩目がそこで踏み出せそうかなと期待したい感じだ。

2026年03月18日(水)細部への妙なこだわりが話を長くする

寄り道の引力

ロジックのデコボコやエピソードの緩急とは別に、そこに至ったときの驚きの強さや、概念に対するこだわりの強さが、文章全体におよぼす影響もあるなと思う。あくまで文章の中でひとつのパーツとして扱われていればよいだけの、単なる一単語に、個人的な思い入れがあって、結果として、そこだけ、濃く厚く説明してしまうことが少なくない。さらっと流してしまうことができない。冷淡に距離を置ききれない。そうして、いらん情報で話が長くなる。そういう寄り道の引力から、自分の意識を引き剥がせないほうではあるかなとも思った。ほんとうにいらん話なのかはもちろん一考の余地がある。こういった制御しきれないアンバランスさこそ最も大切にすべきところなんじゃないかというスタンスもある。それを言い訳に贅肉を増やしたいわけじゃないので、一概に切り捨てちゃマズいなとも思うけれど。