世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月26日(日)病床から脱する

落ち着いた

家庭内のインフルエンザウイルスの蔓延は落ち着いた。発熱面でいえば想定よりは被害が軽かった。自分も罹らずに終わった。着替えも手洗いもマスクもうがいもこまめにおこなってあらがった。潜伏期間が3日は見込まれるはずなのでまだ確定はしていないが。いずれにしても全員が病状に伏すことにならなくてよかったとは思う。極力感染しないよう気も使っていただいた。感謝したい。お子様の発熱も長期化しなかった。これまでも発熱した経験はさほど多くなく、苦しそう・つらそう・見ていられないといった憔悴や消耗もほとんどお目にかかったことがない。ただそのせいで耐性はできていない。今後、目の当たりにしたときに必要以上に動揺しそうだとは怖れている。

不機嫌を警戒

端的に自戒だが、ツラさから来る表情や発言が不機嫌から来ているものに見えてしまい警戒する癖があるなと今回は反省した。意図せず言い換えそうとする気持ちの動きも観察できた。明確によくないと判定したい。対処もしたい。いまはことばにしながら振り返っているから落ち着いて見つめ直せているが、だからといって今後、それを意識しながら実動できるかはまた別の話だし。殊勝なことを言っていてもまったく変わらない(変えられない)ことなんていくらでもある、というか、思い返して言葉でダメだと嘆いてみたところで今後の実動に得られる効果なんて微々たるものだろう。ただでもとにかく、無理、我慢、矯正、演技、といった範囲に足をつっこんででも、直すことを心がけてみてよいところだ、とは判断しておきたい。思いは置いておいて機嫌よく振る舞ってみせること、しかもその相手が親しい相手であればあるほど、そのおこないを「よくない」と思いたがる習性はたぶんある。逆に言えば、心を許している相手に自然体の心・振る舞いを見せることを「よし」と思う習性がある。ぜんぶがぜんぶそうじゃないだろとは思った。

2023年11月25日(土)淡々と書く

淡々と書くひとたち

anond.hatelabo.jp

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シンプルで地味な行動であっても淡々と続けていくと迫力が出る。たとえば最近だと匿名ダイアリーで連日「ゲーム日記」を書いているひとが思いつく。取りまとめてくれた記事もたいへん素敵だった(ノベルゲームやアドベンチャーゲームが好きだというのもあって非常に参考になった)。食事の写真だけを公開しているひとも、トルネコの大冒険だけをずっと遊び続けているひとも、ボードゲームの感想だけを端的に書きつけているひとも、自動販売機の写真だけ撮影しているひとも、見かけたことがある。どれもよかった。積み重ねが凄味に化けていた。こういうものも書いてみたいも のだとは思う。

エックス

類似の話というか実際はあまり関係ないのだけど、運営の問題で最近はTwitterが信頼しづらくなってしまい、いつ消えるかわからないくらいの場だとすら認識している。結果、言葉を置くのを少し避けるようになった。いまこれを読んでます、いまこれを観ています、いまこれを聴いています、これを書きました、という話だけを記録する場にしてしまっている。なんとなくそんな感じで、いちおう、見た目上は、シンプルで地味な行動記録、のような状況にはなっているかなとは思った。

2023年11月24日(金)感激が図抜ける

サイエンスフィクション

ジャンルにフォーカスするならサイエンスフィクション(SF)が飛び抜けて好きである。とはいえ、SFばかり読み続けることは少ない。濃密すぎて受けとめきれなくなってくる。感激が強すぎて精神の壁が削られていくというか。いずれほかのジャンルが読みたくなってくる。ミステリ、ファンタジー、ジュヴナイル、あたりをぐるぐるさせているのが結局は「答え」になっているかな。

おもしろい!!!すごい!!!といった衝撃の話をするならSFが際立ってはいる。が、求めている味わいはひとつだけではないんだろう。超絶美味であっても延々と繰り返すことを求めているわけではないようだ。味わいは変えたくなる。人間の「飽きる」性能は極めて高度だという話も聞くので、その延長線上にある精神の問題ではあるんだろう(という言いかたをすることで単なる飽き性だという解釈をごまかしている)。

哲学や文学の本と、芸術の本と、ビジネスの思考・知識・スキルの本(これもそれぞれ味わいが異なるが)と、心理の本、経済の本、科学の本、などといった学術書・ノンフィクションも、ジャンルを回転させながら読んでいる。世界のさまざまな側面をぐるぐる見ていくのが好きといえば聞こえはよいと思う。

ブラックフライデーセールの絡みでまたKindleのSF作品(ハヤカワ)のセールが話題になっていた。こういう推薦作品を見かけるたびに、積ん読を重ねながら、こんなに読み切れんと哀しんでいる。傑作が薫る作品がこんなに増えていても延々と読み続けることは難しい。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

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前置きが長くなる

文章の下ごしらえに時間をかけすぎて話が中途半端になってしまうことは多い。専門的な言い回しが出てくるたびに用語の説明からやり直したがるというか。たとえば趣味の話であっても、詳しいひとしか知らないような話がかかわってきたら、いったん立ち止まって、むしろ後ずさりして、説明し直そうとする癖である。「それはそれでよいんじゃないの」って気もしないではない。たしかに専門用語を垂れ流す文章を連発するよりはマシだろう。が、そのせいで「下ごしらえだけで終わり」が続いていたら意味がない。前に進まない。滞らせたくはない。そもそも、日記のよさは、あくまで"自分にわかればよい"、つまり、専門的なことの説明に時間を取られることなく前にがんがん進んでよい、独善的な文章でもよい、っていうところにあるんじゃなかろうか。せっかくのウリを無碍にしているのはもったいない。

2023年11月23日(木)バラバラに敷衍する

行き当たりばったり雑感

最近なんかおもしろいことありましたかと質問する雑談はよくする。したいほうだとも思う。ひとがおもしろがったものを知りたがりだ。そこから新しい世界が拡がるとよいなという(少し過剰な)期待がある。そして、そういったところの雑談って、一回始まったら、あっちにいったりこっちにいったりする形に、だいたいなる。これもあったあれもあったとバラバラに話が進んでいく。飛躍も破綻も気にならない。そういう日記もたまには書こうと思った。あちらこちらで新たな出会い、ときには再会があるのに、ぜんぶは書き残せていないからだ。たくさんの感激が消えていっている。もったいない。せめてひとことは残しておきたい。細やかな論理構造も奇をてらった断面もいらないので羅列くらいはしておきたい。

高熱まではいかない

家族ふたりのインフルエンザ症状がやや穏やかで助かっている。際立った高熱が出てつらそうというところまではいっていない。目立つのは少しの発熱と鼻水くらいかな。対処が早かったのもよかったんだろう。もしかしたら予防接種が少しは効果を発揮してくれているのかもしれない。だったらよいな。マスクしてうがいして手洗いして、なんとか防戦しているつもりだが、このままウイルスから逃げ切れるかは不明だ。お子様のために買っておいた「鼻水吸い機」を初めて活用したが、ものすごく効果があって、人類知に感謝した。ピジョンにも感謝した。

2023年11月22日(水)感染のため早く帰る

インフルエンザ追加

家族内でのインフルエンザウイルス発熱者が増えたため願い出てサクサクと早退した。こういうときに帰れないような空気がないところは職場のよいところだろう。感謝したい。業務が詰まっていない頃合いだったのも運がよかった。なんとか後回しにしやすい状況だった。この状況が週末から来週にかけてやってきていたら面倒だった。

昨日の帰り際に、今後の進退についての相談というか雑談を聞いてもらえる機会があって、ありがたかった。そして少しビックリした。異様なタイミングのよさだった。帰りしなに、こんな偶然があるんだなとあらためて驚き直した。ほんとうに偶発的に隙間時間だった。ひとつなにかがズレていたらここでの会話は起きていなかっただろう。こういうときに幸運を実感したりはする。幸運なほうだとはけっこう思えているかな。ともかくいろいろな話を聞くことができた。事案も聞けた。思惑も聞けてよかった。今後に関する指針をいくつか提案いただく場面もあった。非常によい申し出だったんじゃなかろうか。ここで軌道修正を試みるかどうか、正直だいぶ迷ってはいるけれど。軌道を変えたときに振り落とされないかも不安である。が、昨今の職場環境だと自信を失いがちな側面もなくはなく、このまま、危機的な事態とまでは言わないにせよ、負の螺旋のおような状況が続いていくよりは、結果的にマシになるんじゃなかろうかとは思える。一時的な痛みをなんとかこらえてでも投資したほうがよい時期には見える。なんだかんだこういった一時的な痛みって耐えられたりもするし。このあたり楽天的ではある。

ボードゲームで社会が変わる

bookmeter.com

『ボードゲームで社会が変わる』(與那覇潤・小野卓也/河出新書)を買った。最近は育児に追われていることもあって遊べていないが、ボードゲームはとにかく大好きだ。一時期ブログを書いていなかったのもボードゲームにハマりすぎていたせいである。ドイツゲーム・ユーロゲームと言われるような、おとな向けの傑作を遊ぶようになってからは、どっぷり浸かるようにハマっていった。人見知りするとか言っていたはずなのになんだか我慢できなくなってオープンゲーム会(誰でも参加可能)に顔を出すようにもなっていった。というわけで、もっと遊びたいし、もっと広まってほしい。人類に向けての語り口も効果ももっとたくさんあるに違いないと信じている。その一助になりそうな本だ。著者にテーブルゲームインザワールドの小野卓也氏がいるのも読みたいと思った理由だった。

tgiw.info

ボードゲームで社会が変わる: 遊戯するケアへ (河出新書)

2023年11月21日(火)隆盛を検める

哲学のノリ

哲学の精神が好きだなとは思っている。未開拓・未整理のところがあったらそれを剥き出しにして語れないか試してみるノリが好きだ。未開拓と未整理を新たな角度からいつでも見つけてこようとするいきおいもよい。極限まで「共通」のところを見出そうとするところも好きである。宇宙共通、世界共通、だけじゃなく、人類共通、歴史共通、社会共通、文化圏共通、さらには物理、心理、論理、倫理、美意識や価値観といった観点や知識を根っこにした共通性まで、通底させて背景にしてみせようとする意気は好ましい。

ごく自然に振る舞っているときにそういった地平に目を向けたくなりがちではあると思う。好きなのでなんかそうなる。しかしこういった哲学的な眼差しと、ビジネスマインドの"相性の悪さ"を感じることもある。距離感が異なるせいという認識だ。哲学とビジネスでは求められる丁寧さ、緻密さ、スピード感が異なるというか。振る舞いのノリにズレがある。ケースバイケースだがそういう場面が多い。あるいは現職の職場だとそういう状況が多かった。

チョコレートの成分を突き詰めて理解しなくても手土産としては持参できるし、電車の構造と交通の歴史を知らなくても通勤は可能だ。誰と誰がどこまで知っているかの情報量の濃淡、アンバランスに気づいたとしても、職場でうまくその合間をぬって動けているなら、毎度毎度是正している場合でもない(時間もない)。ある程度の「見通し」「問題のなさ」「納得感」があれば進めてよいときに、突き詰めたところまで求める精神性を発動させていたら、そりゃ齟齬も生まれる。

ただ、根幹・根源・根本を問いたがる哲学的観点と、社会を逸脱しない範囲の中で手際よく回そうとするビジネスマインドを、うまく合致させられる瞬間も、なくはないようだ。というか、綺麗に合致させる高度なスキルの持ち主がこの世にはときどきいると知った。難しいが、できるんだなとは思っている。限られた一定のペースで混ぜ合わせたときだけうまく混ざってくれるみたいな神業的「噛み合わせかた」スキルがあるんだという認識だ。そういう融合的なやりかたを指南してくれる言葉も見かけることはあって、とても好きである。

今の流行りと、人類に対するよさ

人類の根本的な「よさ」に立ち返って、ある状況を眺めたときに、そこにある"現代の偶発的な流行"が、そういう人類の根本的な「よさ」に対し、反している、逆効果である、悪循環になっている、むしろ有害だ、といった状態である可能性はもちろんある。ノリと勢いによる短期的でローカルな盛り上がりが、都合よく、人類によいものものばかりのはずもない。隆盛がプラスに働くかマイナスに働くかは運だろう。見方にもよるだろうが、ただの自傷のような盛り上がりだってときにはある。

哲学、批評、思想、それこそ学問や知性といったものが(それらを愛するひとたちが)その予兆や雰囲気を感じ取って、批難と糾弾を向けていたなら、やはりビジネスとの相性は悪くなるだろうなとは思った。批難や糾弾をしている暇があるなら、その"現代の偶発的な流行"を掌握し、手のひらで転がすようにして乗りこなしてみせる、という勢いが、ビジネスマインドの根幹にある印象だからだ。

ツッコミ対ツッコミ

丁寧かつ精緻に見すぎている暇なんてないだろ、というツッコミと、乱暴かつ粗雑に見ていたらピント合わんだろ、というツッコミのあいだの"戦い"があると思っている。永遠の課題っぽいが、さしあたり、個々のシチュエーションにおいてはコンテクストに合わせた最適解を探せばよいんだろう。もうちょっと丁寧・精緻に寄せていったほうがよいと感じるのは、人類の進化・発展が今後も期待はできそうだし、まだまだ途上だという感覚も強いので、「あんまりあせるのは基本的によくないよね」という経験則が適用できそうに思えるためかな。ビジネスないし資本主義はあせりすぎには見える。あせりすぎがほんとうに、問題か、欠点か、改善点か、というのはまた、疑問にはなってくるんだろうけど。