嫌な空気の余韻
連休が終わった。遠くまで足も延ばしたことだし、幅広めの気分転換にはなった。が、ままならない。週が明けても嫌な空気の余韻は残っていた。ビビりすぎて勝手に読み取っているだけなのでは?(枯れ尾花に幽霊を見るタイプの錯覚なんじゃないの?)と自問もした。おそらくそうではないと感じた。いらだち混じりの表情筋と声音はあいかわらず垣間見えた。錯覚の可能性に向かって、一度や二度、自問をはさんだくらいじゃ、誤認の可能性は消せないだろうけど、まあともかくだ。
結局のところこうして相手の内側に(勝手に)見て取っている「いらだち」を"怖れ"ている状態なんだろうと今日は再認識した。芯におびえがある、と両手をあてて意識した。解釈・反抗・防衛といった頭の動作でしのげてはいるものの、起点にあるのはおびえっぽいぞと感じた。「なぜおびえるのか」「なににおびえているのか」等を突き詰めていくと、いろいろな(自分側の過信や悲観もふくめた)問題が絡んでくるし、おびえとは異なる嫌悪や不評なども混じってくるため、区別はもっと難しくなる。複雑だ。
相手の振る舞いを見つめながら、これはいらだちによって駆動しているものなんだろうな、とあらためて捉えてみた次第だ。そして、そのために「もどかしさ」「不愉快」の解消がどうしても第一目的になってしまっているんじゃないかと想定も進めた。その結果、基準をはっきりさせない咎めの言葉が向けられがちになっているんじゃないかな~とも考えた。当てつけのようなどうとでも言えるような批難も、不愉快の解消(爽快感の獲得)のためのものなんだろうという理解である。当てつけってそういう効果が望める印象もある。
たしかに不備やミスはあったのだと思う。そういうなんらかの問題がきっかけにはあったんだろうが、しかし、対処のための意識がそちらを改善していくほうに向かっておらず、短期的な気持ちよさ獲得のためのものになっているのであれば、気にしてもしゃーないかも、と思えるようなモデルを構築してみたのであった。そういうモデルなら現状の様な環境、言葉、態度が横行していることも納得できる。違和感がなく、多少は気持ちも落ち着く。
理不尽が横行していて嫌いだぜ、というロジックを打ち立てることも可能だ。そういうふうに理屈での説明もできる。が(そして話を巻き戻すけれど)、根本はまあ「いらだち」に対する"おびえ"であった。それを今回、再認識した。というふうに、話もぐるぐるもする。こういう循環する脳内もちょっと面倒だし。
マシにはなった
嫌な感じの日々ではあるがとはいえ以前よりはマシにはなった。経験の蓄積によるものだ。同じようなことが繰り返された結果、流石に少しは流れや線引きに見通しがついてきた。対処できるようになってきた。ときどきこういう調子にはなるらしい、そして、このあたりの調子に乗っかっていっても別に解決には向かわないようだ、ということが身に染みてきた。
当初は、じぶんが悪かったせいでこんなことになったのかもしれない、という不安もかかえていたが、実際はそれほど関係なくて機嫌によるだけのようだ、というふうに理解が進んでいった(関係あることもある。だから難しいのだが)。たとえば同じような振る舞いでも叱責されたりされなかったりする。相手側の状態による。自分側の内容にはよらない。ならば気に病んでもしょうがない。不安をかかえすぎてミスが多発し始めるほうがむしろ逆効果・悪循環だ。そんなような頭の中にはなった。
以前は、ほんとうに申し訳ない……と落ちこむことも多々あったが、流石に現状の認識のもとでは、はあそうですか、という距離を置いた精神もときどきは発動するようになった。指摘したいことはわかるが指示も説明もそもそも曖昧だったしそんなふうに"わかる"前提で言ってくるのはおかしくない?どういう言葉選びなの?と感じる。要するに、しっかり聞いたうえで、なお、開き直れるケースも、出てきた。こうして書くとぜんぶがぜんぶみたいになるけどそうではない。明らかなミス、気づけたであろうミス、についてはむろん悔やんでいるし省みている。しかしそういった納得のいくミスの中にそうじゃないものも混ぜてくるから、厄介だ。混乱させられている。卑劣なんじゃないのとも思う。
開き直ってしまえばよい、というか、ミスはミスで当然よくないが過剰な叱責まで真正面から受け止める必要はない(しかし、どこからどこまでが過剰かを確定させる決め手はないため、ぼく側が線引きするとなると、当然、身勝手な判定基準は混じってしまう)、といったリアクションを今後、指針にしていくとなると、査定が下がっていく心配はある。少なくとも下降を避けにくくはなるだろう。コイツときどき叱責を勝手にスルーしやがる、と判断されたときに、でも過剰だからしょうがないね、と判断してくれる別軸が混じることは期待しづらいからだ。ここをどうしようかなと今は考えている。
いやまあ別にそれでもよいか~と思えるときもなくはない。場所を変えたほうがよいのではとも検討する。なんであれ波があるのだから下がりそうだからってあわてて動かないほうがよいのではとも思う。ジャンプのためにしゃがむ時期だってあってよい。誰だって常に高い評価を受け続けているわけではないんだろうし。現状最大の難点である不機嫌問題は結局のところ"運ゲー"なわけで、"運ゲー"頼りでやっていく案もなくはないのか、と諦観したりもする。