人生比べするとき(混線中)

▼▼人生比べ?人生論比べ?をして、敗北を味わうというかじぶんが格下に見えちゃうというか改善点アリに思えちゃうというか羨ましがってしまうというか足元やら自信やらがブレちゃうというか、なんてゆーか「なぜじぶんはあれができないんだろ」なんて思い始めてしまうような場面、について、改めて試行錯誤してたけど、整理できなかった。混乱が増すばかりであった。▼▼けどこれ、いちおう書けるところだけ書いておく、くらいはしておかないと結局忘れちゃう話だな、と思えたので、粗出しはしておこうと思った。思索の流れは一昨日からの引き継ぎになるかと思う。
▼▼改めて。思いつく断片だけでも。
▼▼人と人生比べをする、ってことに関して、即座に思いつけるツッコミに対する、じぶんの立ち位置、派閥、自然に出てくる前提、から整理してみる? 書いてみる。
▼▼えーと。
▼▼ツッコミ1「駄目な人生や正しい人生なんてものはない、だから、人と人生を比べることなんてない、比べるな」に対しては、いやそんなこと言われても比べちゃうことってあるし、比べたいこともあるだろうし、比べるくらい別によいじゃん派。ていうか、比べないようにしろって言われて比べることをやめられるようなコントロールのたやすさが人間にあったらぼくら苦労しないよ……、と思っちゃう。
▼▼ツッコミ2「じゃあ比較して「下だ」と思ったら、じぶんの人生は駄目ってことになるの? 負けとかなの? 間違ってる人生があるってこと? 駄目人生だって落ち込んで駄目人生をやめることが正しいとか思ってる?」に対しては、負けではあるけど駄目ではなくて、間違ってる人生はない。ただ、誰の人生もぜんぶ「正しい側」に寄せてよいと思うけど、すべての人生は正しいので糾弾できない、みたいな放置というか投げ棄てというか不可侵条約がよいとも思ってないし、ここはやはり、正しさにもグラデーションがあるあたりのことを思ってるんですかね? ▼▼聞かれても……。▼▼なので「駄目人生をやめろ」というスタンスには立ってないかな。あと、落ち込まないでいいんだよ、ってことをこの話の向こうというか目的に据えてはいるので、このあたりが肝な気はするなあ。
▼▼ツッコミ3「比べて上下は見出せる。でも、駄目ではない。正しさは誰もが持ってて程度問題である。なんてのはつまり「人それぞれ得意不得意や向き不向きがあって人生のやりかただって個人の性質や人生の場面によってケースバイケースで有利不利が変わるから、どんな生きかたにもよいところや正しいところがあるよ!みんなじぶんの個性に合わせて活かしていこう!ってこと?」が浮かんだんだけど、この「一見駄目なところが多く見えても、実際は得意なところや強みがあるものであって、勝負どころをを選ぶことで地味な勝ちが獲得できる。だから、勝負して負けたとしても所詮は一時的/局所的な敗北と見做せるから、格下とか敗北とか実はたいしたことじゃないよー、気にしすぎてもあんまり意味ないよー、っふうに言いたい「わけではない」派。
▼▼等々のツッコミに対する反射的な答え達にこうして眺めてて、で、なぜ? って雰囲気が逐一出てくるわけだけど、このあたりの繋ぎがうまく言語化できなかった。
▼▼こういう「人生比べゲーム」は、人生についてうまいこと言えるかどうか──じぶんの中で腑に落ちるうまい言い回しを獲得できてるかどうか、ってことが、有利すぎるというか、これがあるかないかで勝負の背景というか基準というか「やっているゲームがぜんぜん変わる」から、確かに別に比べたければ比べてみればよいし、互いに意識して比べるのでも独り相撲でもよいけど勝ちなり負けなり判断するのもいいし、羨ましがったり敗北味わったり尊敬したりするのもいいんだけど、うーん、なんていうかなー、こうして比較した時に抱いた「なぜぼくはあれができないんだろう」というような凹みを長期間維持させとくのは違くない? というようなことを思っている? ような?
▼▼いやなんか「勝負自体は幻想というか空虚なのであんま気にしなさんな」にちょっとやっぱり寄っちゃうな。こっちに来たがってるわけではない気がするんだけど。いやでも部分部分ではこう思ってるのか? あとこの「勝負してもいいけどあくまで空虚というか勘違いもあるよ」的な理路を推し進めると、この勝負によって、尊敬や喜び、肯定的な気持ち、を抱いた場合も、まあ長期間抱くようなものではないよ、って言えちゃうけど、ここに関しては、プラスの気持ちってわりと活動の燃料に回せてしまうので、感じたあと燃料にして回転させられるなら、まあ回しといちゃっていいんでない? というようなことも思うのだった。▼▼この、錯覚的に湧いた気持ちの取り扱いかた、として、マイナスの気持ちは「錯覚だから」って減衰や無化を狙いつつ、プラスの気持ちはあんまり疑いを差し向けないで燃料に回しちゃおうとする、ことの是非──こんなこと可能? あたりの問いまで混ぜると、話がさらにわけわからなくなりそうなので、ここは閑話休題。プラスの気持ち、肯定的な気持ち、の定義も曖昧すぎるし。
▼▼あー。読み返してても言いたがっていることがほんとうにわからないなー。
▼▼なんていうかなー。
▼▼人の人生の語りを聞いてわりとおおきいダメージを喰らう時があって──おおきいダメージを喰らってその後「気にしすぎる」ことがあって、こういう状況に対して、人生と人生を比べるって行動をまず否定せず、ダメージを喰らわないよう解釈を変えて比較した認識を無化させる作戦を選択せず(人それぞれ!向き不向き!)、同時に変なふうにねじ曲げてダメージを小さくするような解釈変更もせずに(実際的に言えば些細な違いだ、とかかな……。ここよくわからないし不要な項目かも)、でも、「気にしすぎる」には値しないだろ、っていうようなことを思ってて、このあたりまで繋げられる理屈、を言ってみせたがってるんだけど、うまくできなかったのだった。
▼▼寝起きで読み返して流石にヒドイと思ったので結構書き直した。混乱はしてる。
▼▼なんか、いわゆる「その時ぼくは××だと思っていたのけど、実は■■だったので、ぼくがやってたことは結局無意味だったんだけど、でも、その時ぼくがそう感じていたことだけはほんとうだから」みたいなことを言いたがってる雰囲気になるなー。でも、ここに「無意味」持ってきたくない感覚がある、のだよね……。けど書いてて、ああでもこれは「無意味」持ってきていいやつなのかな、って迷ったりもし始めてる。難関。