人生クローズアップの型

▼▼環境と心情がおおきく変わってくるような瞬間にこそ、人生、というようなものがクローズアップされてくる印象はかなりあって、おおきな変動とおおきな動揺の中でしか「人生」を見ることができていない視座や観点、っていうの、あんまり好きじゃないな、と思ったりした。とはいえ、日常の中で普段から人生を実感できていること──人生にピントを合わせ続けられていること、ガン見していること、が、必ずしも、よい、ということでもないかとは思っているのだけど……。見たい時に見られるのがよい、って雰囲気かなあ……。結果として、見たい時、っていうのをどう既定するか、になるのかも……。じぶんがいつ人生を見たくて、見ていたくて、どうすれば、じぶんが見たい時に見えている環境を形成できるか、っていう問いは、面白そう、って思えた。
▼▼まあまあ非日常で異質な案件が起こった日で、驚きや困りを落ち着けるために、人生、というものをまじまじ見つめようとしていることに気づいて──こういう時の落ち着きのためにばかり縮尺変更を利用していることが多いなって気づいて、なんだか、こういう「見つめかた」というか「人生の利用方法」は、別に悪くもないだけど、でも「こういう利用しかしていない」のなら、嫌かも、って思ったのであった。