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人工知能が高性能化して困る困らない(混乱中)

雑談記 思考記 時節記

▼▼人工知能が囲碁による勝負でだいぶ頑張ったようで、今、話題になっている。人工知能と人類の関係性を改めてシミュレートしてみた話もよく見かける。
▼▼人様の生きかたとじぶんの生きかたを見比べてあせったり凹んだりしなくてよい、という考えかたと同じように、人工知能の位置づけがどうであろうと、マイペースに、あるがまま、生きればよいのでは? という考えかたは、ありうるのでは、と思った。
▼▼とは思えたわけだけど、しかし、人工知能の進化が、今後、社会の枠組み全体や人類のありかた全体に、おおきな影響を与え始めるのであれば――一部ではなく全体を改変し塗り替えていく様子を頭の中に思い描くのであれば、無視、軽視、なんてしていてよいものでもない、という考えかたも、また、ありうるだろう。
▼▼まわりと比べないで、周囲の雰囲気に流されないで、素直に、平和のまま、あるがまま、じぶんの道を進もうぜ、みたいなことは、多少、年齢を重ねていないと言えない台詞じゃない? というのも思ったりした。▼▼社会や人類の全体や根源が変質する、塗り替えられる、ということは、子供に対する教育自体変わってしまう――伝承される内容自体が変質する、ということだ。▼▼実際に現状の社会における「人工知能」が今後変質していく、のであれば、まあとはいえ、あるがまま、じぶんなりに、やっていくのみですよー、なんていう言葉とともに受容することも可能だろうって思えるわけだけど、じぶんがまだ、世界や社会のことをうまく掴めていない学習前の子供だと想定してみるなら、そういった受容のしかたは、できそうにない、と、言ってしまってよさそう、とも思うのだった。
▼▼誰かが、何かが、人工知能が、突如デカイツラし始めたのを見て、怒ったりあせったり慌てたりしなくてもよいけれど――気にせずに、じぶんがしたいこと、じぶんにできること、を粛々とやっていればよい、というのはあるんだろうけど、デカイツラし始めた誰か/何か/人工知能が、普通とか自然とかいう言葉が示すところに入り込んでいって、それがあって当然――それがデカイツラしていて当然(それがデカイツラしているということすら認識できない、当然さ)、というような状況、そしてそれにより困った状況、いまいち安心していられない環境、を作っていく因子になりそうならば、怒ったりあせったり慌てたりもしたほうがよい、のかも? というようなことを考えていて、なんかこう、けっこう混乱したのであった。
▼▼人工知能がどれだけ賢く強くなって、ゲームなんかを含め、人間が育んできたいろいろなもの達を無意味化させていったとしても、別に(今のじぶんなら)楽しくいられるでしょ……、やりかた次第でしょ……、そういう意味ってじぶんで見出すものでしょ……、という気分と、今後そういうふうにいろいろなものが無意味化させられてしまっていき、最初からそういった雰囲気のある社会の中でじぶんがもし改めて育てられてきたとするなら、まあでもそれでも楽しくいられますけどねー、なんて言って、笑っていられるんだろうか、という気分の、噛み合わせで、戦った。噛み合わせられてはいないと思う。



▼▼明るい世界、と言えるようなものが当初あって、その中で生まれた者がいて、その後に、もしも世界が闇に包まれたとしても、明るい世界を夢見て希望を失わずに諦めずに戦うものはいる(残る)んじゃないか(人類の全員が諦めて暗い顔をし始める、っていうほうが極端すぎて、無茶だろ)、って思えるのだけど、最初から闇に包まれたような世界であり、その中で育った者、教育を受けたもの、それが当然であるもの、ばかりにもしもなってしまったら、明るい気持ちを持って、明るい世界を目指して、戦い続ける、なんてことは、期待できるんだろうか? 若干無理があるんじゃない? みたいな認識の話かな……。
▼▼物語的に想定してみるなら、あるいは言葉上だけなら、最初から闇に包まれた世界で育ったとしても、人は希望を見出すものさ、明るい世界を目指す者が出てくるさ、ということは言えると思うけれど、実際、どうなんだろうか(まあでも、実際問題、というよりは、じぶんがどう感じるか、を考えておくべきかなあ、というのもあるけど)。



▼▼追記。
▼▼世界的社会的な事柄に対する心配と、個人的問題に対する心配(じぶんはうまく対処できても、全員がそうできるとは限らない)、短期的な物事に対する心配と、長期的な物事に対する心配(短期間なら抵抗なりできても、長期的には耐えられないかも、対処し続けられないかも)、要するに、マクロとミクロ、という切り分けの話、をしたがっていただけかなあ。
▼▼したがっていた、というか、そのへんの混乱に論題が引き摺られて、そこの話になってしまった。
▼▼個人的、短期的な問題として、人工知能が進化しまくって、例えば囲碁のようなものを「解明」しまくったとしても、別に、だいじょうぶ、という気分が、やっぱり発端だ。改めてそこだけ記録しておこう。