自意識隠匿

▼▼人狼ゲームというものでは、人狼の役割を「引いた」時に、人狼の目線で把握できている情報から「出てくるであろう発言」は、自覚し、自制しなければならなく、なる。実はわかっている「もうひとりの仲間」に対する「言及が少ない」だけで、疑われたりすることがあったりもするので──人狼でないなら、すべての人物がフラットな状態で見えているはずであり、だから、おのおのの村人に対する発言の量に濃淡、というかデコボコがあるだけで、疑わしい理由の一つになったりする、ので、言葉を、うまく調整する必要が出てきたり、する。
▼▼というような、見えているのに──見てしまっているのに、見えていないフリや見ていないフリをしないと駄目、っていう駄目さは、自意識過剰や自信過剰、あるいは過剰な卑下や卑屈、と言われるような「じぶんを滅茶苦茶じっくり見てしまっている」ような状態の時に、見ているのに見ていないようにしないと駄目──平常心や自然体ではあまり見ていないような言葉づかいをしないと駄目、って言えたりするような駄目さ、に似ているんじゃないかなー、って思った。
▼▼もしも、じぶんばっかり見てしまっていても、じぶんばっかりが視野の中にある時に言える言葉を、話さないようにする、隠す、という振る舞いが、重宝される瞬間が、多々ある。多々あって、でもって、この認識の統制や発言の統制や情報の統制というのは人狼の時に使っているやつに似ているなー、って思ったのだった。