じぶんの心理を分析するための情報、は足りてるのか、足りてるような

▼▼昨日から思索が続いてる。▼▼客観的な状況の理解、に関しては、判ったような顔をしなくなったんだけど、自己認識時においてはまだしちゃってるんだよなー、とか。
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▼▼具体的な世界は情報量が多すぎて、脳内シミュレートでは追い切れず掴み切れず、単独で脳内で試行錯誤してても、掌握や理解、打開案の立案には、不足する。ゆえに、実際に試した経験からの認識や録画録音による具体的情報などがあると重宝する。▼▼なんて思えるようにはなった。脳内シミュレートに対する過信はだいぶ消えたなあ、って雰囲気がある。世界認識に対するこういう平服はある、のだ、が……。
▼▼が、自己認識に対する平服のようなものに関しては、まだだいぶ甘さや油断がある気がかなりしていて、掌握や理解くらいできる、打開案も立てられるだろ、なんて言える気分がある、のだよなー。▼▼自己認識、って行ないに対しては「人間の知覚性能で普通に眺めてたら見逃してしまう情報が沢山あるぞ」って思えてないようだ、と思った。実際は見えない情報も沢山ある、ってふうに、自然には思えてはいなくて──敗北や後悔や痛みがなくて、見えてる情報がすべてだ、って安易に前提にしてて、安心できちゃってる。
▼▼落ち着いて考えると、というよりは、現時点までの世界と人生を見つめてきて経験から改めて考えると、人間/じぶんの知覚の性能が「対象が持つ情報」を漏らすことなく完璧に捉えられるような満足いくものであってくれたこと、なんて、一回もなかったし、見聞きしたことすら一回もないので、これぜんぜん前提にしちゃ駄目なやつでしょ……、と思ったほうがよいのは、わかる。不安定すぎる足場なのは想像できる。落ち着けば。
▼▼っていう脳内の穏健派の意見を突き詰めていっちゃうと「対象のことがわかった」とは永遠に言えなくなりそうですが……。▼▼子どもの頃から馴染んでるシンプルな情報収集班から得た分析と意見ばかり採用しちゃってるの不安だ、なんて言えるかなあ……。
▼こうやって、普段のじぶんが行なっている浅慮や愚行に対しての、告げ口というか声かけのようなものを、まあ時々はしてる。▼▼っていうのもどうなんだろーねー、なんてふうに続けそうになったけど、告げ口と声かけって言葉にできたの、結構よかったので、理路はぜんぜん通らないけど、よしとする。余談の中で気分よくなっちゃって総括的に変に満足しちゃうの、好きかもだ。楽しめたならいいんじゃないカッコ笑、的な終止符。
▼▼発想順に書いちゃうからここから再度追記しちゃうけど。
▼▼じぶんの心境や心理の関しては見逃しうる発見しづらい情報が一杯あるよ、という状況を踏まえられてないんじゃなくて、むしろわかってて、発見しづらいものとして「無意識」って領域があることを前提にしすぎてて──無意識領域が持つ厄介さを最初から逆にわかりすぎてて、ここらへんはもう「意識できる範囲」だけで対策会議を開いてかないと間に合わん……、っていうような、次善策的な、諦めと覚悟による、切り口、ってだけなのかもなー、と思った。▼▼安心できるのか安心できないのか判らないまま終わる。