世界は称賛に値する

日記を書きます

よい生きかた(そもそも何処を目指すのか)

▼▼世の中がよくなるであろう理想的な方向性、というようなものがあるんだと思うのだけど(社会について話し合われる場面で「こちらの方向に寄せていきましょう」とされる向きというのがあるのは間違いないと思うのだけど)、理想的な方向性に向けていくことが可能な人間、と、不可能な人間、という区分が、そもそも可能なのかなあ、ということは考える。どちらの人間が多くなったら世界はよくなるのだろう(ほんとうに「理想的な生きかたが体現できる人間ばかり集めたら、それは理想的な世界になるのか? あるいは逆になったら、世界は破滅するのか?)とか、ある個人を「どちら」と判別することは可能なんだろうか、とか、そのあたりも思う。どの人間もどちらの性質も持っている? 比率の問題と見做すなら、比率が多い人のほうが「よい」のか? そもそも人類の誰も「理想的な世界」を作るような完璧さを持ち得ないのかな?
▼▼よい生きかた、って観念は好きだ。多少突き詰めたいというか、語れるようになったら楽しそうだし素敵だな、と思う。なんかこのあたりについて考えてる時に、人類の性質と世界のよさ(よい在りかた)の関係性、いまいち整理できていないんだよなー(うまく語れるような言葉を持てていないのだよなー)と思ってしまうところがある。