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武井壮さんの番組を観た(こつこつ進めていく)

視聴記

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▼▼特に後半、素敵な話で、驚いた。▼▼やれるだけのことはやる、ということに対する認識が、改まった。▼▼やれるだけのことはやる、という言葉を使うというだけのことであれば、無論、今までだってできていたわけだけど、やれるだけのことをやる、という言葉が実際に何を意味するのか、ということまで、丁寧に想像できていなかった、ということが、判った。



▼▼物事をこつこつ進めていくのが、多少苦手だ。
▼▼こつこつ進めるのが苦手、ということについて思考してみた時、思うのは、根気や根性、物事を我慢できる、というような「精神や性根の問題」のことと、努力が報われることを知っている、体感してきている、成功経験がある、というような「努力というものの認識の問題」のこと、そして、こつこつ進めることで将来の何かに繋がっていく、ということを理解するための「時間認識的な問題」の、三つだったりする。

▼▼精神論はあんまり頼りにならない、と思うようになってきているので、精神的な「頑張り」が特に発揮されなくても、なんとなく、行動してしまう、という「環境造り」のほうが、大切だ、と思うようになった。意識もそちらに向けがちだ。なので、こつこつ頑張れないぞ、と思った時に、精神が駄目、根性なしが駄目、と思うことは、減った。
▼▼努力の成功経験は、そりゃあすでにあるというならそれでよいのだろうけど、いまのところない、というなら、もうないわけで、いまさら「あった」ことにはできないし、次の一回の成功が求める「成功体験」になるんだから、成功体験が今ないよー、と嘆いているよりは、とりあえず一回成功体験的なものを手に入れればなんとかなる、とりあえず誤魔化し気味のものであってもよいので、一回、ほんと無理矢理にでも、手に入れてみせよう、と考えるようになった。というか、ここは考えててもしょうがないので考えない、と考えるようになった。

▼▼時間認識が、ちょっと難題というか、ここが苦手なんだな、と思うことが最近は多いのだけど、ここは、結局、言ってしまえば、時間配分をたいていミスする、油断してたら時間がなくなってる、というような問題であって、突き詰めていくと、いつまでだって生きていけると思ってる、というような油断な思考背景の問題になっていきそうだな、って思った。限りある時間、貴重な時間、そして、一分のあいだにできること、十分あればできること、一時間や一日のあいだにできること、あたりのことを、再認識しないと駄目そうだ、というようなことを改めて考える。うまく「こつこつ」が実現される「時間に対する認識」というのが、ある、という信仰の話とも言える。ただ、責任転嫁っぽい頭の動きが出てきがちなんで、そこは潰したほうがよさげかな。あと、単純化しそうになっちゃうのも規制だ。時間認識のせいっぽいんだよねー、だから、時間認識なんとかすればそれで解決ー、と思いそうになるのは、駄目。▼▼現状の時間認識はなんなの?っていうのも突き詰めていったらよいのかもね……。まあ「いつまでも生きられると思ってる」「いつか死ぬことを考えないように、麻痺させるように、生きている」というような油断は、やっぱり、出てきそうだけど。▼▼ちゃんと気をつけているから大丈夫だよー、という、少し気をつけている、というポーズで、真剣に考える、ってことからは逃げている、麻痺させている、という危うさもありそうかも……。



▼▼結果を出しているから、よい――言っていることに正当性や妥当性がある、という認識や納得は、好きではないのだけど、まあ、している時もある。論理が綺麗なら――論理が鋭く健やかなら、よい、と、思えるようには、なりたがっているのだった。強めに意識しておくことで、多少は実現もできている、かとは思うけど。