世界は称賛に値する

日記を書きます

じぶんにとっての歌の位置づけ

▼▼歌、というものを、切なさ加速装置としてしか使ってこなかった気がする。そういう使いかたしか身につけてこられなかった、というかな……。▼▼そういうやりかたしか見出せなかった? そういう切り口しか見つけられなかった?
▼▼加速装置、っていうよりは、増幅装置かなあ、って思いついて、でも増幅も違うっぽいな、って思って、なんていうか、膨張?(発酵による?)
▼▼切なさは、まあ、恋、友情、懐古、孤独、別れ、あたりに関わってくるもの、って認識かな。
▼▼まあでも、無論、それで十分だった、それが必要だった、という可能性も、あるだろう。それしか見つけられなかったんだよなあ、と、今は否定的な視座に立ってみているわけだけど、それでよかった、と肯定的に見つめ直せる(見つめ直してしまってよい)可能性だ。
▼▼そして、今さらどうにかできることでもないのかな、とも思う。▼▼ほかの芸術や文化、感性にまつわるものと比べて、歌に対する感受性、を鍛え直すのって、なんとなく難しそうに思えるからだ。鍛え直すという表現は違うかな……。拡大する? 別の物差しを作る?
▼▼そもそも、難しそうだ、と思えてしまう目、頭、経験を、じぶんが持っている――持って生きてきている、というほうが適切だという気もする。歌に対する感受性の更新自体が難しいんじゃなくて、難しく見えてしまう人間だから、苦手だから、あんまり更新してこれなかったし、今後もできないような気がしてしまう、というような順番だ。
▼▼とはいえ、絶対にできない、ってことでもないような気はしているのだけど……。