思考において、この進みかたで場所を変えた時に、「次」と認識してよいのか

▼▼この問題点や疑問点にはよくよく遭遇し、ぶつかってきてて、さんざん考える羽目にも陥ってきたし、実際ちょくちょく考え抜いた結果「まあこんなところかな……」「こういう言い回しでここに触れておくと間違いはなさそうかな」なんて言える程度の──及第点や妥当と言えるほどの「結論」じみたものを得ることができてる気もするし、そしてまた、皆様各位も、やっぱり同じようなところで引っ掛かってきてて、沢山考えられたようなので、なんていうか、もうその話はそろそろいいんじゃないでしょうか。そろそろ時代遅れというか一周遅れというか……、まあ言ってしまうと飽きてしまったところありますので、次行きましょうよ次、それを踏まえたところの話、ここを越えたところの話、っていうか、そういうやつを話してみましょうよー、考えましょうよー。このへんのことについて今さら裏返して土台の確認みたいなことやってたら──毎回毎回チェックしてたら、ほんとキリないっすよー。
▼▼って雰囲気の心持ちを活用しながら(この種の心持ちが発生した時に、うまいことエネルギーに変換して、動きを加速させながら)足を次の段階に進めようとする──思考を次の段階に進めている気になっている、ような感触があるのだけど、こういう「足の進めかた」を観測する時に「ここが『次』だ」と認識するのは、なんか甘そうというか、変な勘違いを誘発しそうというか、違うかも?と思っておくことで別系統の進化の筋道を開発可能なんじゃない? みたいなことを考えていた。
▼▼さんざん考え抜いて、だいたいわかったから、ここはもうこのへんで手打ちにしておいて、それを前提に据えてみることで、別の話に行ける、っていうの、別の話、って認識しておいたほうがよいのでは? そこは「次」なのか? って思った。