取り出して見せることによって、世界の中でおおきく見せる

▼▼わざわざ言うと――わざわざ書くと――あえて言葉にすると、対象となる物事を、おおきく見せることになる――世界像に組み込ませることになる――ピックアップさせる意志を明示してみせることになる。
▼▼視線を誘導する効果がある。


▼▼社会的に忌避されているようなもの、皆が直視しないようにしているもの、などなどに視線を誘導することもできるだろう。そういう時は、意識的に見せた、という解釈がありえて、政治的意図、みたいなものが問われたりもする。
▼▼じぶんが普段から見ていたものだった場合――最初から見えていたものを描写しただけで、あえて見せようとピックアップしたんじゃない場合、そこに、齟齬が、誤解が、出たりもするかと思う。


▼▼肯定したいのでも否定したいのでもなくただ事実を述べただけ、というような意識に対する批難、を、時々見かけるし時々喰らうので――うまく整理できていないので、整理してみた。まだ曖昧ではある。
▼▼じぶんの中に「ただ事実を述べただけ」という行動がほんとうにあるのか(ぜんぶがぜんぶ、ほんとうにそうなのか)、ということについても、けっこう迷いがあって、いろいろ考えたりはするのだった。
▼▼世の中で否定的/肯定的に語られすぎていることに、ぼんやりした不満があって、フラットに見ようよ――ぜんぶを見ましょうよ、という意識のもと、カウンター的に、わざわざ明示する、語ってみせる、自然な表情、普通の顔、無表情で、言葉にする、という時があるのだけど、これは「ただ事実を述べただけ」なのかな? って思えるのだ。疑問ははさめる。
▼▼フラットな形に立て直したいだけ、ということと、ただ事実を述べただけ、ということの、関係性に対する疑問、というかなー。欺瞞が混じってそうなところの怖さ、を、思うのだった。


▼▼視線誘導で遊ぶ――見てなかったものを見せて面白さを感じさせる、というような言葉使いをしていることもある。芸術とか言論とか。そのあたりとも関連させつつ。