世界は称賛に値する

日記を書きます

友達と友人

▼▼友達と友人では「友達」のほうが文字として好きだ(基本的に密度の濃い、黒い文字のほうが好きなのだ)。が、響きとか、あと特に意味の手触りに関して言えば、「友人」のほうが、まあ、わりとしっくりくるかと思う。しっくりくるっていうか、落ち着く。違和がなくて安心できる場面のほうが多い、と言ってもよいかな。
▼▼それでも反射的に「友達」を選びそうになる心持ち(見た目を優先する脊髄反射的な趣味嗜好)が結構あって(まあ、即刻思ってしまったあとは、無論、ケースバイケースとして、適切なほうを選ばねばって思い直すくらいの冷静さもあるけれど)、とにかくそういう雰囲気が瞬間出てしまうには出てしまうので、誰かに、意味を、誠実に、精密に、なるたけちゃんと、伝える気あんの? ないよね? って言われたら、ちょっと、言葉に窮してしまうところ、あるな、って思った。
▼▼まあでも、それがじぶんにとっての真面目な言葉との向き合いかたなのだ、って言いかたはできるし、あるいは、この場所に限ってはとらいえずそういう意識や嗜好をほとばしらせてあげさせてるのさ、ここだけはそれくらい許してよ、っていうような許容のしかたも、まあできる。できると思う。のでまあ、こういう言い訳にハマリすぎないようにしとけばよいのかな(この落ちばかりである)
(そもそも「友達」と「友人」では、見た目で迷っちゃうー、とか以上に、そもそもの意味がおおきく異なってるんじゃあないの? 迷ってる余地とかある? っていう、ちゃんと見極められてないだけ問題、とかがあるのでは……、と、このあたりで気づいた)
▼▼友人とSkypeで談話してるうちに、なんかするかー、ってなって、Googleで「将棋 オンライン」で検索し、すぐに将棋を指した――指せた。下準備もなく、会員登録もダウンロードもすることなく、即座に将棋が打てるなんて、すごいぞ、って思った。という日記が書きたくなって、下準備としてこういう文章になった。