タイミングを見通せてないせい、タイミングなんてないので単に油断し続けてるせい

▼▼あの頃は黎明期だったからねえ、なんてふうにのちになって語られるような場に、実際に立ち会うことができていたとしても、今が黎明期なのだなー、と同時的/並行的に思えていたことって、ほとんどないなあ、と気づいた。ここからが伸び盛りだから動いておくとよさそう、というふうに判断できたことが、ほとんどない気がする。けどこれは、黎明期であろうとなかろうと、動こう、と思える習慣や精神があんまりないせい、ということかとも思った。おおむね怖じ気づいているのだ。あーあ、というのも改めて思った。
▼▼とはいえ、黎明期に対しての認識性能についても、やっぱり、期待はできなそうではある。あるので、思い立ったが吉日、ということを普段から踏まえておくような形状にはしておきたい、かなあ、って考えていた。
▼▼黎明期に気づけない「から」動くタイミングが掴めないのだ、とかいう内面が出来てしまうよりは、思い立ったが吉日思い立ったが吉日、と繰り返しているくらい(にもかかわらず動かないのならば、単にそれは「思い立ち」と「吉日」を舐めてるせい、っていうことになるかと思うので)のほうが、まあマシだろ、とは思えたのであった。