手間暇かけて作って、一瞬だけ触れられる(対比的な、「ルール」)

▼▼作るのはけっこう手間も時間もかかるのに(手間と時間という言葉の並びは「間」という文字が韻を踏んでいて、よいなあ、という感覚があるな)(文字が、漢字が、重なることを「韻を踏む」と呼ぶのは、しかし無しかなあ……。音声じゃないと「韻」を使うのは駄目な気はする……。文字でも「重複による共鳴」みたいなものがあってもよいと思うのだけど……)(いやまあ無論「ある」とは思うのだけど、呼びかたあるっけ……、という疑問)、触れるのは──見たり聞いたり読んだり遊んだりするのは、一瞬、という、芸術作品、娯楽作品、にまつわる言説があるかと思うけど、作るのはわずかな時間でできるけど、長く楽しめるよ、というものって、この世にあったりするんだっけなー、と考えていた。突き詰めたら、無い気もした。しかし、世界は広いし、経験則的に勘違いや見逃しは多いので、ある気もした(無い気がする──、のほうは、いくらか検証して、見つからなかった、という結論気味の感覚だけど、ある気がする──、のほうは、ほんとうに、なんとなく、というか、単純に、断言してしまうのは怖いぞ、といった不安を消沈させるための弁明的意識だ)。
▼▼マルバツゲーム、が、思い浮かんだ。まあマルバツゲームは、定番の形状だと、あっさり終わってしまう(結局「遊ぶのは一瞬」な)気もするけど、いくらかマス目を増やしたら、プレイ時間は伸びるだろうから、そういう考えかたでもよいし、別の「ルール」について考えてもよい。ルールを考えて、遊ぶ、という「ゲーム」というものは、一瞬で考えて長く楽しむ、ということが、できるかもしれない、可能かもしれない、ということを思ったのだった。幾分かの可能性が拓けているのがここかもなあ、という光を見た気分にはなった。