世界は称賛に値する

日記を書きます

手間暇→変換→質

▼▼手間暇エネルギーが、質に、変換される。される? ▼▼って認識できちゃうような世界観が駄目なのでは? されないんじゃない? というのを少し思ったのだけど、社会やビジネスあたりが「手間暇→変換→質」っていう目線を要求してくることがわりとあるかと思うし……、ぜんぶは破棄しちゃえないな……、ってふうに思考が続いた。
▼▼前述のような変換律を軸にしておける領域がビジネスであって、同変換律が通用しない空気のあるところが芸術だ、なんてふうに範囲を調整してみちゃえるなら、まあ落ち着けるのだけど……、ビジネスと芸術の合いの子みたいなのも沢山転がってるしねえ……。
▼▼会計というか投資というか経済というか、数字的な判断があることこそがビジネス領域、って言える状況はあると思うし、逓減の法則などが「手間暇→変換→質」っていう挙動を分析してくれてたりもするのだし、人類が頑張って「せめてビジネス領域では手間暇と質の話はうまく回そう」としてる──手間暇と質がうまく回る範囲のものをビジネス領域として落ち着かせようとしている、気もするので、軽視はしなくてもよいかな……。やはり適用範囲を如何に決めるか、になるのかな……。
▼▼日記や文章を、ビジネス的に考えるか、芸術的に考えるか、で、やっぱり、気持ちや判断、結論が変わる、ってことが、このあたりから言えるところなのだとは思った。