短期間に素敵を喰らわせられすぎると昂奮を抑制できない

▼▼え!あ!そうか!そういうふうに考えればよいのか!なるほど!というような驚きと閃きと新鮮味の混じり合った味わいが滅茶苦茶好きで、ツイッターなんかで人様の言葉に感銘を受けたり薫陶を受けたり啓蒙させられたりするたびに、ツイッターがあってくれてよかったぜー! とか思っていたりもするのだけど──一日のあいだに二個も三個も素敵な「なるほど!」に出くわしてしまった時に、強烈な「ツイッターってすごく素敵!」という褒め称えが発生するのを止められないでいるところがあるのだけど、輝かしい出会いが一日のうちに何個かばしばし続いたっていうだけで強く心を動かして褒め称えてしまうの、浅はかじゃない?甘くない?事実誤認じゃない?とも思った。
▼▼とはいえ、長期的あるいは中期的な「素敵の進捗」だけを「褒められる理由」とするのも、多少おかしな(めんどうな)話ではあるか……。短期および眼前の素敵の密度や濃度だけで褒めすぎるのも当然よくないのだろうけど、褒めない!と決めるのも微妙だ。あやうさを知っておこう、という注意喚起の話になるのかなー。▼▼危険性把握が、リスク管理が、つまりは浅はかさの対抗馬なのだな、というのは、最近まあまあ思っている。思うようになってきている。
▼▼無論、ツイッターという媒体に対してだけでなく、ほかの媒体に対して思うし、例えばブログや日記にも思う。素敵な日記を数日のあいだに何個か読めただけで──素敵と感激をまとまって喰らっただけで「ブログや日記ってあったほうがよいものだよね!!!みんな書いて!!!」とか思いすぎ言いすぎ。
▼▼ぽこぽこぽこと間断なく素敵さに出会わせ続けられると、受け止めきれなくてなんだかあっさりと感激と感動の波に呑まれる。が、運やタイミングの問題で、あと、媒体の特性と関係あるのか?という問題が絡んでいるところでもあって、このあたりを気にせず、浅はかに媒体を賞賛してしまうことの、駄目さや愚昧さや微妙さ、を思ったのだった。けっこうこういう気持ちの動きやってるよなー、と反省した話でもある(ここが起点)。