対等、と、自由を軽視しない

▼▼相手を大切にする──尊重する、ということと、相手の自由を奪おうとする──こちらの都合に合わせて操縦しようとし、同時に、向こうの不都合を軽視してみせる、ということは、基本的には反発し合うはずであろう、ということを改めて認識したりして、大切にする、尊重する、対等に見る、ということを考えると、言えなくなる言葉というのが出てくるのだな、ということも、改めて思った。


▼▼オマエの都合なんて知ったことじゃないし、むしろコチラ的には不都合なので、遠慮しろ諦めろやめろ、なんて言ってしまえることによる、大切にしてなさや尊重してなさ、見下していること、の証明、というか、そのあたりが醸し出されてしまう臭み、的なものを再認識したのであった。
▼▼いや逆か。
▼▼大切にしている尊重している対等に見ている、なんて言いつつ、相手の行動や自由を縛ったりする嘲ったりすることはできない、噛み合わない、ということを再認識した。
▼▼行動や自由を尊重すること=相手を尊重し対等に見ること、と言えそうだ、というふうに思ったとも言える。




▼▼言葉で書くと、言葉にして見ると、普通じゃん……、知ってた……、という気持ちが出てくるところもあるのだけれど、接続感を得た瞬間は、かなり強く、なるほど! って思えたので、たぶん、これまであんまり繋げられてなかったはずである。