対義語なんだか対義語じゃないんだか

▼▼対義語。反意語。意味や意義が逆、ってどういうことなんだろう?ってことを改めて考えていた。▼▼わかりやすくない対義語──直観的なところ、見えやすいところ、に対称の軸を置いてない言葉と言葉。▼▼線対称として眺めてみたら点対称だった、とか、単なる回文として読み始めたけどよく見たらローマ字変換からの逆さ読みだった、などで比喩できる、軽くひねった言葉の裏返しかた。
▼▼投資と消費、フローとストック、演繹と帰納、あたりの対義語の話にはちょくちょく違和を覚えたりしている。対義語だっけ?と脳内二度見してしまう。思ってから、これはおそらく普段じぶんが馴染んでいる対義の軸を使ってないだけなんだろうな、って思い直したりしている。でもって、丁寧に見つめ直すと対義の軸が見えそうにも思える、のだ。
▼▼戦争と平和、も違和があるのだけど、戦争と平和を並べるための対義の軸、って見通せてない。ここに線を引くと認識としては逆のものになるな、と思えてないのだった。白黒、赤青、あたりを対立させたくなる脳内の動きも、思考の種としてはよさげかな。
▼▼言葉Aと言葉Bは、いかなる俎上、いかなる要素、いかなる線引き、によって、逆の意味や逆の認識を持ちうる、と認定されているのか。対義語として二つを並べることで何が逆になっているのか──違いを謳うことで何が強調されているのか。
▼▼理性と感情、優しさと厳しさ、あたりの、対義語っぽくないわけじゃない(あまり馴染みのないところ線を引くことで逆のものとして見做すことができそう)なのに、対義語認定を貰えてないような──貰えてないどころかむしろ異論反論すら喰らってそうな、言葉群、に関しても、まあまあ気になるかな、と思った。▼▼実際問題じぶんも、理性と感情、優しさと厳しさ、を対置して語るの好きじゃないし……。
▼▼このあたりって雑な認識に繋がりやすくて、雑な認識によって勘違いや誤解の言葉が蔓延したら困るし、迷惑を被る頻度が比較的高そうじゃないすかー、っていうような、被害確率が高く見積もれちゃうから駄目、ってあたりの認識はありそうだな、と思った。
▼▼理性と感情、も、優しさと厳しさ、も、人間の内面の話になるわけだし、人間の内面の話──精神や心に関する話は、あまり雑に語っちゃ駄目ー、だって困るー、じぶんがそう思われたら困るー、みたいな理路はあるし、まあまあ持ってるし、あったほうがよさそうとも思うので、このあたりによるものか、とも思った。人間の内面の話は慎重に、だ。