好きのよさは社会頼り、嫌いの悪さは世界頼り

▼▼好き!だからよい! 嫌い!だから駄目! なんてふうに脊髄反射的に直結させてみせることはできない。基本的にはしないほうがよさげである。直接繋げると破綻と飛躍が目立つ。違和と無茶と隙が薫る。相手もじぶんも、誰も、説得できなくなるし、納得させられなくなる。ので、あいだを埋めてくれる事例を探すために、脳内を、検索していることがある。探しまくるために脳内シミュレートを重ねていることがある。
▼▼というような「じぶんの直観を正当化してくれるための事例検索シミュレート」の時に、「好き」について探す時は「社会」周辺を見ていることが多くて、「嫌い」について探す時は「世界」周辺を見ていることが多い、気がする、って思った。
▼▼社会に利をもたらしてくれることに対して「好き」と思いたがるところがあって、世界に害することに対して「嫌い」と思いたがるところがある、と言える、のかなあ。逆に言うなら、世界に利をもたらしてくれるだけでは「好き」と思ってよいかどうかに不安や疑問があり、社会に害するだけで「嫌い」と思ってよいかにも謎がある、のでは?


▼▼なんでかなー、と考えていったのだけど、適切な言葉が出てこなかった。隙間は埋められなかった。


▼▼うーん……。


▼▼世界にとっては「害」が天敵であり、少ないほうがよい、つまり、世界に関して話す時は「マイナス」に注意する話をしましょうよー、とか思っているところがあって、んで逆に、社会にとっては「利」が適するものであり、最大化を目指すとよい、つまり、社会に関する話をする時は「プラス」に関わる話をしましょうよー、とか思っているところがある? のでは? とは、思った。おのおので弾力性が異なる認識?──マイナス要因に対する弾力性と、プラス要因に対する弾力性が、違う? という認識、があるのかも。


▼▼社会を検索対象にしたほうが「よいと思ってよいだけの理由」が見つかりやすく、世界を検索対象にしたほうが「駄目と言ってよいほどの理由」が見つかりやすい、といった認識を持ってしまっているのでは? という可能性についても、思った。
▼▼じぶんの直観や感情を肯定してくれるものが見つかりやすいところを探している、という切り口(にも見える)。▼▼と言ってみると、じぶんに都合がよすぎる、ズルイ、と言えたりするところもありそうであり、とはいえ、やはり、ズルイとかではなくて、じぶんに関する向き不向き、あるいは、対象にとっての向き不向き、で、単純に決めている可能性もあるわけで、変なふうに「都合よく恣意的に決めてやがる」とか思ってしまわないほうがよさそうかも、とも思った。