好きなキャラクターの絵は特別に見えるのと、錯視

▼▼好きなキャラクター(キャラA)の絵は、特別な雰囲気に見えてきたりする。異なる空気を纏い始める。▼▼キャラAに酷似したキャラクター(キャラB)が、もし別にいたとしても、キャラAの絵は別の枠組みで認識されたりするのだ。キャラAとキャラBを見分けるための「違い」が、たとえ装飾品一つだったとしても、装飾品一つで、特別さが変わる。あ、キャラAの絵か、と思えただけで、好感度が高まる。▼▼あまり似てないキャラAの絵(絵柄が原作とぜんぜん違うのだけど装飾品でキャラAと判る)と、キャラAによく似てるけどキャラBの絵(絵柄としては原作キャラAっぽいけど装飾品でキャラBと判る)が、比較された時に、前者のほうが好きだったりすることも多々だ。▼▼というような事柄を考えながら、誰か/何かを一回「個体認識」しちゃうと感覚が変わるよな、ということを思ったのだった。ほとんど同じような見た目でも別の枠組みが使われる。


▼▼ほぼ同じようなものを見ていながら、違うものに見えている、ということを考えながら、錯視、のことを思った。錯視との違いを考えたりした。錯視画像が話題になっているのが記憶に残っていたせいだろう。最近二つほど錯視画像を見かけて驚いたのだった。


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色合いを無視すると、波線はぜんぶ同じ曲がり具合の波線である(直線に見える)




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ツヤがあるように見えるけれど絵の具で白く塗っている(一回気づくとツヤが消えてしまう)




▼▼錯視画像を行き来しようとするのが好きで(錯覚のあいだを行き来できないかと試行錯誤を重ねるのが好きで)、この「行き来」と、個体認識による特別意識(キャラAに見えるから好き/キャラAに見えないから好きじゃない)を「行き来」するのは、似ている気がする──あるいはどう違うのだろう、ということが気になったのだった。意識のコントロールでおのおの多少は調整可能っぽい印象があるのため、調整できる範囲の可能性ややりかたが気になった。「ここを見つめるとこの錯覚は無効化できる」「こちら側で見たい時はここを見て、ここを見ると今度はこういうふうに見える」みたいなやりかたと、キャラAと見做す、キャラBと見做す、というやりかた、を、比較してみたくなった。

■錯視画像(波線)の一次情報
心理学部4年の小林由佳さんと高橋康介准教授の作品が「錯視・錯聴コンテスト」で入賞 | 中京大学