言語性とストーリー性と感想の書きやすさとか

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▼▼言語的芸術と非言語的芸術を比べたら、言語的な芸術の感想文のほうが好きかも、楽かも、得意かも、なんてふうに書いた昨日の日記を、改めて読み返していて、複数、思いついたことがあったので、箇条書き的に記録しておく。
▼▼言語的芸術、というものを思い浮かべる時に、小説、を思い描いていたところが結構あって──つまり、小説が見せてくれる「ストーリー性」というものを織り交ぜて念頭に置いていたところがあって、なんていうか、言語的芸術の感想の書きやすさ、と、ストーリー性を持っているものの感想の書きやすさ、を、ちゃんと区別できていなかったところがあるのでは? 誤認混じってんじゃん? というのを、まず思った。
▼▼言語的芸術、を思い浮かべていた時に、小説ばかりでなく、新書や学術書、などまで想像に混ぜていた雰囲気があったりもしていて──つまり、言語表現されているもの全般に対して、比較的感想が書きやすいぞ、とかいう話をしていたところがあって、のちのちになって、いや新書は芸術じゃないのでは……!? っていう自己ツッコミが脳内に響き渡ったり、した。新書を読み終えた時の感想、と、絵画を眺めた時の感想を、比べようとしていた、のだ。▼▼が、別に比較してもよいのでは? 言葉に触れて感想を書く、のと言葉じゃないものの感想を書く、の比較なら、混ぜてあげてもよくない?
▼▼最初の小説の話と次の新書の話、ズレがあるね、というか、違う話になっちゃってる気は、した……。▼▼似てるけど種類の違う穴が二つもあったのだ、ってことにしておこう……。▼▼新書における「ストーリー」と、小説における「ストーリー」は、おそらく異なるはずだ。新書や学術書が語りの中で「ストーリー、を思わせるもの」を進行させてゆくことは無論あると思う。けれど、小説の言葉が「ストーリー」を進めていく、っていうのとは、種類がやはり少し異なるとも思う。▼▼ある種のストーリー性があると説明書なんかも読みやすくなるよ、みたいな「ストーリー」を、今は新書側に向けている。物語進行型の新書の文章もあるのでこの場合は小説と同種で考えられる。
▼▼しかし実際、絵画の感想、と、新書の感想、と、小説の感想(ストーリー性の言葉も混ぜこぜ)を比較したら、書きやすさの順序はどうなるんすかね?
▼▼あとまあ、ストーリーと芸術の関係性、が、相変わらずよく判らないな。ストーリーのよさだけが芸術性を高める、ってことは明らかになさそうだし──図抜けて秀逸なストーリーが芸術として称えられる、ってことはあまりなさそうだし、時にはストーリーを完全に軽視してる(人間の、ストーリー摂取における、安直さや簡便さ、即刻踊らされがちな脆弱さ、等々を踏まえることで、騙されないよう警戒すらしている)くらいの切り口を見かけたりすらするし、芸術にまつわる話題から離れてすら「ストーリーなんかを主軸にしてやることないぜ」って宣言を聞くことがあったりするし、ストーリーって芸術系空間の中だと駄目駄目なやつなんすかねえ、って思ったりも、するのだった。
▼▼けど、ストーリーを脇に置いておく案に、素直に賛同しちゃってよいのか、は、結構微妙だ。以前からずっと迷っている。▼▼ストーリーを追う、重視する、踊らされる、ストーリーばっかり見る、あたりのことに対して、未熟さとか幼稚さとか低俗さ、あたりを見てよいのか、も、迷うし。
▼▼現状だと、いわゆる「ストーリー性を重視したがるの眼差し」を持ってしまっているから──じぶんはストーリーこそが好きなところなんですー、と言えてしまうくらいの好意的な経験は積んできてしまっているから、ストーリーの存在を軽んじる言説は、あんり素直に受け容れられないところがある、のだよなー。▼▼脇に置いとけない。聞こえよい言いかたをするなら、放っておけない。
▼▼とはいえ、程よい落としどころを考えるなら、作品総体の中の一つの要素としてのストーリー──ほかの要素との響き合いの中でストーリーの価値が決まる、みたいなことにはなるんだろうな、と思った。▼▼切り口、思想、技巧、と綺麗に響き合っているなら素敵ストーリーだ、と。