物事の何ステップ目をいじるか・補足(引き続き混乱中)

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▼▼出来事はそれぞれのステップに分けられるんじゃなかろうか――改善する時には「どのステップを選ぶか」という選択肢がある(と考えてよさそう)――改善どころの向き不向きが人によって違うのかもしれない――慣れてるステップの変更しかたを人に薦めてしまいそうだけどよいのかな? というあたりの話を、昨日は書いた。
▼▼読み直していて、出来事の「物理的なステップ」についての話のような雰囲気が出てしまっているな、と気づいた。物理的ステップの話でも通じる話だとは思うのだけど、当初、頭の中にあったのは「心理的」「精神的」なステップ、ことであって、このあたりを区切れてないじゃん、整理できてないぞ、と思ったのだった。


▼▼物理的ステップというのは、料理が出来上がるまでの段階、あたりの形状で説明が可能なんじゃないかなー。
▼▼「完成させる料理を決める」→「食材を買う(より安いところで買う、旬の物を選ぶ知識がある、同じ素材を買うんでもよりよいものを選ぶ、などの含む)」→「下ごしらえの腕前と手間暇を惜しまないところ」→「切る」→「煮たり茹でたり焼いたり」→「味つけの選択」→「盛り付け」→「料理を出す順序、全料理のバランス」といったような流れが「物理的ステップ」である。
▼▼こういった流れの、おのおののステップに対して、目指すゴールが同じなら、違うステップを変える手もあると思うし、そして、人それぞれの得意分野があるだろう、だからまあ、得意分野で攻めるとよいのでは? といった話に見える可能性があるな、と思ったのだった――そう見えても問題はない(話は通る)と思うのだけど、当初、念頭にあったのってこれじゃなかったな、と気づいたのだった。


▼▼対して、心理的ステップという言葉は、ある出来事があって、それを知覚し――解釈し――覚悟および決断することなども含めて、結果として、感情が動く、楽しく思ったり悲しく思ったり苛立ったりさえする、といった、ある出来事を「じぶんがどう受け止めるか」というようなところの流れを指すものとして、使っている。
▼▼この出来事を受け止めるまでのステップ、ということを考えながら書いていた。


▼▼不満を覚える出来事があった時、そしてじぶんが不満を覚えていると認識した時、出来事自体を手ずから変えてしまうことに向いている人もいれば、受け止めるじぶんの心理をコントロールすることに向いている人もいるだろうし(出来事が持つ量や質によっても変わるだろうけれど)、また、心理をコントロールするにしても、我慢的なことが得意な人もいれば、我慢じゃないように解釈を変えて受け止めるのが得意な人もいるだろう(我慢の限界だってあるだろうから、出来事の「難点」の量や質によっても変わるに違いないし、その「量や質」を見極める手腕の違い(向き不向き)も影響してくるだろう)。
▼▼解釈を変えるにしても、多面的に見ようとしてみせることで別解釈を見つけるのが得意な人もいれば、あえて見ないところを作ることで(遮断することで)解釈を変えるのが得意な人もいるだろうし、実際的な情報を増やしてみせることで別解釈への道を切り開くのが得意な人もいたりするように思える。


▼▼うーん、とりまとめると……。
▼▼ある出来事にストレスを覚えている人がいて、この人物がすっきり健やか、晴れ晴れとした気持ちになる、なれる、ということを目標にしてみた時――そのための方策、というものを模索してみた時、どのステップに手を加えよう、どのステップを変えることが効果的だろう、どのステップを変えるのが向いているんだろう、と考えるのは大切だし、どのステップを調整するんであっても結果的にゴールにつければよいのだから、一つの(例えば最初に思いついた)ステップに拘んなくてもよいのだ、そして、一つのステップに手を加えるにしてもやりかたは様々なのである、というようなことを意識できていることが大切だろう、みたいなことが、当初の頭の中にあったものたちなのだった。
▼▼と、このあたりまできて気づけてきたかな……。
▼▼ストレス解消手段、切り込みどころと調整手段、いろいろあるんで、いろいろやりましょう、合ってるやつ探しましょう、とも、まとめられる。