インターネットでスターをひとに送る時の思惑

▼▼はてな社のはてなスターやツイッターのお気に入り、を、刺激を受けるたび、ばしばし押している。好き!新しい!よい!わかる!あたりを混ぜ合わせながら押している雰囲気だ。カラースターも使いまくりである。よいものだー、と伝えたくやっている。じぶんの言葉なんてどうせツマラナイものだ、なんて卑下や気落ちによって去られたら嫌だ、ぼくは困る、ぼくは好きだ、というワガママ心理により、行なっている。
▼▼この星達がプレッシャーになったら困るな、ということを、けどまあ、前からずっと考えている。押しつけがましくない、重荷にならない、プレッシャーに繋がらない、気軽の匂いがする、切り口があればよい、とは願っているのだ。プレッシャーっていうか苦痛かな……。いやまあ同じようなものか……。気分が重くなるか痛みを味わうか、性格にもよるだろう。
▼▼こうして星を付けることに対する思惑を語ることが、気軽な雰囲気、に繋がるかどうかは、ちょっと怪しいと思う。でも、ぜんぜん関係ないってことはないだろう、という推測も最近はある。経験的なものと言える。素直に思惑を伝えておくこと、思惑を知って相手の振る舞いを見ること、などによる印象の違いがある。変化が起きる時は起きる。という世界のありかたを、最近、ふんわり、考える。ので、書いてみている。
▼▼星が望まぬ気持ちを相手に与える場合、を、いくつか推測している。もしくは、経験則的にじぶんもここでプレッシャーみたいに思うことがあるな、と感じている。
▼▼星が付くか付かないか、そして、カラースターの色、などによって、星は評価のようになるだろう。評点に見え始めることがあると思う。でもって、誰かに評価される、っていうな状況──評価がデフォルトとしてある場そのもの、に対して、苦痛を覚え始めてしまうパターン、が、まずあるんじゃないか、って思う。
▼▼評価されること、評価の場であること、自体は許容できている人でも、特定のテーマの話ばかり気に入られてる雰囲気があって──星の量やカラーのによって内容の好き嫌いが判ってくるような雰囲気があって、いつしか気づき、気づいたことで読み手たちが期待しているであろうもの、を、意識し始め、あまつさえ肥大化して書きにくくなり、苦痛を覚え始めたりしてしまう、っていうパターンもあるんじゃないか思う。
▼▼好き好き思って星を付けてると好き好き思ってる相手ほど星を付けまくることになるのだけど、継続的に星を付けてると──継続的に星が付いてると、次回も星が来ることを推測するようになっちゃうし、期待しちゃうし、待っちゃうことがあると思う。で、無意識のうちに待っちゃってるなあ、とか、待っちゃうじぶんの心が駄目ー、ってふうにじぶんに駄目出しし始めて、苦痛が出てきちゃうパターンとかもあると思う。あるいは、この苦痛すら無意識の場合すら想像できる気もするし……。とか想定できる微妙なプレッシャーが好きな相手ほど伝わりやすくなっちゃうのもなんだかなーだし……。
(ここで余談として挟んでおくと、あまりに好きが継続しすぎてて「ああこれ毎日ブルースター押す羽目になるかも」みたくなってきた場合、重荷にならないで欲しい、という気持ちが昂じて、ぜんぜん星を付けなくなる、星を付けるハードルがその人だけ上がる、という状況があって、これもなんかまあ、よくないんだかしょうがないんだか、と思う状況があるのだけど、ここももう、突き詰めると、個人のバランス感覚の問題になるので、難しいところだし)
(あと、暗い話に「いいね!」を押しづらい(いいね!ではないだろ……)のと同じ雰囲気で、苦悩的な話に対する星も少なめになることがある。語り口にもよるけど。まあとにかく、星を付けないことが、=ツマラナイ、ではないことがあって、このあたりももうちょっと繊細に対処できるようになれたらよい、とは思っているのだけども……。ピンポイントでちゃんと心配りを伝えてる人も見かけることがあるしな……)
▼▼というような苦痛やプレッシャーを与えかねない構造を、わりとがっつり怖れているのだった。書き手側として気にしないよう意識しているじぶんですら、油断するとすぐ感じてしまっている局面があるから、なおさらだ。可能な限り排除したいと思いながら星を付けていたりする。ぜんぜん感じないで欲しい、敬愛は伝わったらいいけどプレッシャーは伝わらないでくれたら嬉しい、ほんとマジそのあたりは無視してくださいよー、と祈っているところがある。
▼▼プレッシャーや苦痛に繋がってあなたの発想やセンスが見れなくなったら、ぼくにとっても明らかにマイナスだし……。っていうワガママ話であるのは前提なので、こういう「ただワガママ話ではありますが」って解釈によって軽視してくれるなら、非常にありがたい、と思ってもいる。
▼▼まあでもなあ、実際のところ完全排除はやはり無理なんだろう。無謀だよねえ、とは思ってしまう。こうして「感じないで欲しいと思ってるよー」なんて書いてみたところで、読まれたい相手に読まれるかなんて不確定だし(相互読みが前提かよみたいなツッコミも思うし)、だからって読まれる確率の向上を狙って毎日毎日こんな話ばかりし続けるわけにもいかないし、思惑が伝わるかどうか、の段階ですでに怪しい、って言えちゃう。
▼▼そして、こういう思惑(苦痛やプレッシャーなんて感じないでください!)を抱いて相手が星を付けている、ということが伝わろうが伝わるまいが──知ろうが知るまいが、苦痛やプレッシャーのようなものを、ぼんやり感じ、薄ら不快に思い、なんとなく気分が乗らなくなってしまう人、っていうのは、やはり当然いると思う。性格的な違いの影響が出るに違いない。
▼▼また、ある一人の思惑を知ったところで同様の構造に対するすべての印象ががらりと変わる、ってことでもあるまい、とも思うし……。
▼▼だから、じぶん一人が何かを伝えたことで──伝わったことで、思い通り「気にしないで」いてくれるようになる、なんて都合のよいこと、そうそう起こるまい、とも思うのだった。思った通りの感触で言葉が伝わってくれるだろう、なんて、言語の構造面でも、人間の性格的でも、無謀すぎるだろ、無理だろ、とは思うのだった。
▼とはいえ、相手の思惑を知ったらちょっとは気にしないでいられるようになれたー、相手の思惑を知らなかったから余計なことまで考えて暗くなってたー、と言えるようなことも、じぶんの経験から言えばある気がしているし、だからそれを期待して、って言っちゃうのは若干微妙だけど、でもまあ、確率論として、書いて伝える意味のある話かな、とじぶんの世界観としては思えたので、書いてみた。書けてよかった感じもある。