スター押す時の関連余談1

▼▼ふぁぼ的なスター関連の話を昨日書いた。昨日の段階では思いつかなくてうまく混ぜられなくて書けなかった話、が、若干あったので、備忘録メモしておく。

▼▼スター関連話の備忘録、メモ1。
▼▼あくまでぼくが勝手にやってることなので、って説明、つまり世界観および言葉を相手に伝えることによって、相手が重荷に思わないよう解釈させる──軽視してくれるよう狙い、頼む、ってのは、理路として厳密に言うならだいぶ脆いと思う。正当性はぜんぜん謳えないと思う。けど、発言内容というより発言行為自体が気軽さを持ち上げてくれる効果がありうるんじゃないか、という経験則があって、現状は習慣もついてるのだった。思いのほか無意味じゃないよ、って思えているのだ。真面目な顔して言えるならなんとなく空気は和むかも、くらいの楽観があるのだった。たとえ言葉選びにおける論理的厳密さに隙があったとしても、内容が触れている話題や余談、触れる時の表情、世や人や気持ちに対するスタンスを見せること、などによって、隙を消せる、というような世界観が最近は出来てる気もする。行動指針としてこのあたりを組み込んで計画を練ることが増えてる気がするのだ。使いかた次第かなと思ってる。

▼▼スターの話、備忘録2。
▼▼怒ってる時も照れてる時も同じような行動が具体化する、という場合、行動から怒りを解釈するのと照れを解釈するので、ブレが出る。この時、怒りの時にしかぼくはこれをしないようにしています、と宣言しておくのは、多少、意味があるだろう。気持ちに振り回され実際は宣言通り動けてないことがある、という問題などは起きうるにせよ、最低限ここに「見極めづらい違い」があることは了承している、って宣言になる。相手が了承済みだと判ってるなら話題に挙げたり駄目出しするのも、苦痛の呻きを伝えるのさえ、多少は気軽かな、って思えたりもすることがあるんじゃないかとも思う。境界線があることの説明からしないと駄目、って状況だと、言う気が失せたりする。▼▼というような意味合いにより、昨日の「じぶんの星の思惑」の説明もアリだったか、と思えている。

インターネットでスターをひとに送る時の思惑 - 世界は称賛に値する