その道具のその使いかたに慣れ親しんでどうする

▼▼言葉まわりに関する自己言及が多い、ことについて、少し悩むというか、少し迷うというか、ほかのことも書いたほうがよいかなー、というようなことを、時々は思う。
▼▼頭、躰、手、言葉、の動きを観察して──観察しまくって、工具や武器といった道具は、常に触れ続けることによって躰に馴染み、じぶんの延長線上に置かれる、というような形で、普段の、自然な、じぶんの動きの中に取り込もうとしてる、んだとは思う。
▼▼思うんだけどさー。
▼▼将棋の駒を、盤上で動かし続けることによって──詰め将棋や棋譜並べによって慣れ親しみ続けることによって、将棋の駒の動き自体が次第にじぶんの延長線上に置かれてゆく、というようなところを目指してるんだとは思うのだけどさー。
▼▼うーん、なんていうかなー。
▼▼なんていうかこう、将棋の駒が見せる動きじゃなくて、動かしかたじゃなくて、駒を指した時の音の響きのよさ、とか、駒の素材である木材の強さや美しさ、とか、あるいは駒の手触りのよさ、とか、若干勘所としてズレてるところに「触れまくっている」「経験しまくっている」だけになっているのかも? なっているんじゃないか? というような疑問も、時々、持ってみてもよいんじゃないかなー? って思った、のだった。
▼▼その道具のその使いかたに慣れ親しんでどうする……、的な。▼▼いやまあ別に、将棋の駒の木材のよさが判る審美眼、を持ってみるのも、よい、とは思うのだけども。