そんな社会はあり得ない(と現状にすら言えるかも)

▼▼世界の有り様に対して異質な要素を混ぜてみた時、いかなる変貌を見せてくれるだろう? っていう問いに脳を向けてみるのが好きで、物語を読んでる時もわりとこのあたりのことを疑問視してしまうことがある。思いを馳せてしまうことが多い。
▼▼読んでいる物語の世界描写に対して、じぶんなりに下してみた異世界シミュレート結果をぶつけてみて──相対させてみて、違和やズレ、齟齬や矛盾や不具合、などを勝手に解釈し、なぜここはこうなってないんだ……! 効率的じゃないし効果的じゃないし、ぜんぜん合理的じゃない……! 整合や釣り合いが取れてないよ……! なんていうような苛立ちを覚えたりしてることもあったりする。
▼▼のだけど、でも、いやしかしそもそも人類というものはきっと効率的で効果的で合理的で整合的でバランスのよい素敵な社会を形作ってくれるだろう、って想定や前提が過信なんじゃないの? 誤認なんじゃないの? 油断なんじゃないの? 現段階の世界にせよ社会にせよ、別世界の人間が異世界シミュレートと実態を比べてみたら、いやいやここにはこれがあるんだからこうなっているはずなのになぜこんなことになってんの? とツッコミたくなるような情景が、むしろがっつり沢山、あったりするんじゃないの? とかいうような疑問と不安が浮かんでくることもあったりして、やっぱりこのあたりに文句言うのって違うのかなー、と思って黙っちゃってることもあるのだった。多々ある。
▼▼人様の社会に文句言えるほどじぶんのところの社会はちゃんとしてるんスかね? とか思っている雰囲気だ。▼▼じぶんができてないことは人に文句言っちゃ駄目です、って話ではなくて──とは思ってなくて、言い換えるなら、できていない現状のじぶんじゃあ見通せていないものが、もしかしたらあるかもしれなくて、あるとしたら、変に文句言ってみても見当違いのこと言っちゃってる可能性も高い? 高くなっちゃうのでは? という可能性の踏まえかたの話、をしたがってる。あるいはビビってる。
▼▼普通に国家間の文化の違いなどで問いを立ててみても考えられる話かとは思った。
▼▼合理性にツッコミしてるつもりだったのに単なるオマエの視野狭窄だよって逆にツッコまれるかも、とビビってるところは、確かにある。▼▼けど、だからって、いつだって人間の社会が完璧なる合理性の下で形作られてるとは限らないんだから別にいかなる社会描写だって許されるだろうし文句なんか言ってもシャーナイね、なんて言って沈黙、っていうのも、短絡というかせっかちというかラクしすぎというか、いやいや閾値とか限界とか程度問題とかの話くらいできるだろ、とは思うしなー。
▼▼まあやっぱりこのあたりの話は、見積もり時の見当違いと保証期間および修理対応と異論反論のことを踏まえつつ、言えることを言っていく、直せる時には直す、というような行動指針の問題にしてゆく──行動指針の問題になってしまう、のかな。おおむねこのあたりで話に落ちをつけがち、っていうのも自覚しつつ。