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知ってる、という言葉を、時間基準じゃなくて、眼差しの精度とかを基準に使うとよさそうかな

▼▼特に丁寧に見てきたんじゃなくても、つまり見かたが雑だったとしても、見てきた時間が長いだけで、なんとなく「まあまあ知っているよー」的な精神を造れてしまうところがあるなあ、と思うのだけど、如何なる眼差しで見てきたのか、ということを──眼差しの、繊細さや敏感さ、丁寧さ、というものを、大切にしたほうがよいんじゃないかな、とは思うので、何かを言おうとした時に、それを眺めてきた時間、ではなくて、それを見てきた眼差しや意識の性質、というものを、当てにして──基準にして、あ、うーん、これに関しては何か言えるんじゃないかな、いや言えないかな、って検討するのが、よさそうだ、って思った(迷うならここで迷えよなー、って思った)。


▼▼追記。
▼▼ぼくはそれが大好きなので、ずっと、丁寧に見つめてきたんだ、大切に扱ってきたんだ、みたいな精神の問題より、実際に使った時間のほうが、余程、大切である、という切り口にも繋げられるのか……。まあ、調整問題、程度問題、なんだろうけど。