世界は称賛に値する

日記を書きます

洗練や最適vs幼稚や粗野

▼▼あるものが見せている「シンプルさ」に対して、洗練や最適という言葉を使うことで賞賛のように認識できている時と、幼稚や粗野という言葉を思い浮かべながら批難するような目を向けている時が、あって、同じ「シンプルさ」であっても気分によって褒めたり貶したりできちゃうのだなー、ということも思ったりはするし、シンプルさ、と、一言で言っても、その内実は物によって細かく異なる(賞賛に値するシンプルと批難に値するシンプルが、別々にあって、細かく見つめるのと、違う)のだ、ということも思ったりするのだけど、そのことに合わせて思うのは、目の前の「シンプルさ」が「賞賛に値する」のか「批難に値する」のかは、はっきりと判らないことが多くて、でもまあ、ぼんやりと感じるところだけはあるので、とりあえず、その感覚に従って言ってみている(だから、あと数分、思考時間を増やしてみたら、また意見は変わるかも――気づきが増えるかも、という予感はありながら、その中で、一旦、言葉にしてみている)だけなのかもなあ、というようなことだったりするのだった。一番よく思っている(困っている)気がする。

▼▼単純すぎて飽きる、ド直球すぎる、判りやすすぎる、刺さらない、っていうような判断と、無駄がなくて、シンプルで、美しい、力強い、というような判断を、好き勝手に都合よく使い分けすぎているのではないか、という不安があるのだ。
▼▼けど、じぶんとしては、ある程度、見極められている気もしているのだ。
▼▼にもかかわらず、確信を持てるような、説明、根拠、などが、ぜんぜん、持てていなくて、試行錯誤を重ねるように考えてしまうところがあるのだった。
▼▼好きだ、と思っているものに対して、判りやすいからこそ、好きだと思えてるんだろうな、って思えている時と、判りにくさ、複雑さ、諸々の混合具合や隠蔽具合、などに対して、好きだと思えているようだ、って思えている時が、ある。そのへんの、矛盾というか混線を、なんとかしたがっている。


▼▼ジャンルによって少しずつ違うのが、ちょっと耐えがたい、んだろうなー。物語や言葉は比較的複雑なのを好む気がするんだけど、音楽(歌?)は単純なもの(判りやすいもの)を好んでる気がしていて、これらの「ジャンルにまたがった、じぶんの発言」を眺めてると、え、なんか、言ってること違うけど、って、困惑させられる。
▼▼沢山触れて、次第に慣れていくことで、そのジャンルでよく見られるパターンが、蓄積されていく――体得したパターン認識が増えていく――学んでいく、と、やっぱり、理解が複雑になっていく――好みも複雑になっていく――単純なのは見飽きちゃう――、ということが、まあ、やっぱり、関係しているんだろう、なー。▼▼というような性質を無くしたいみたいな欲があるのかなー。▼▼どのジャンルに対する理解も、好みも、均一にしたい? あるいは、すべてのジャンルのことをよく知っておきたい、なのかな。