三段論法を足掛かりにしながら理解していく(複雑なタイプの足掛かりも持っておくべきだった)

▼▼論理を解体していくときの包丁として、三段論法、を使いがちだ。三段論法、という理屈を経由することで論理というものを理解してるからだ、ってことも思った。三段論法という「型」によって切り開きやすい「論理性」しか「判る」って思える範囲まで持って来られない、なんてふうにも言えると思う。
▼▼数学において難解な問いに立ち往生してる時と似てるな、って思った。数学の場合は四則演算に頼りがちだ。四則演算くらいしか身につけて来られなかった、とも言えるだろう。サボっていたせいだ。サボっていたせいで、更に複雑な問題まで解体が可能になる刃があったはずなのに、見逃してきてしまった。問題領域ごとに、公式、として挙げられていた話、が、つまり、鍛え上げられ磨き上げられた武器の話、だったのだと思う。
▼▼重なり合って、入り組んだ、話の「流れ」を、型や公式を使いながら、分解し、手の届く──目の届く、ところまで、持ってくる──降ろしてくる、という手腕や手並み、というのが、数学によって鍛錬できたものだったのかな、と想像できた。▼▼数学に強い人は論理学にも強くなりがち、というのも、想像の範疇に落とし込めた気がする。