日記書きなおしで脳を文章モードにする、ことを話したことってないような記憶だけど、記憶の信頼性はどうしよう

▼▼数日前までの日記を書き直す行為が妙に好きだー、って話を以前に書いたけど、日記の修正作業が、効率よく意識を「言葉書きモード」に変成してくれる、なんて言える効果があるなあ、とも思っていて、このあたりの「意識の調整効果」も好き、と言えるかとも思った。書いてなかったなー、と思ったので書いてみた。▼▼が、書いてたかも。
▼▼記憶勘違い確率についての話を皆様に聞いてみたいかなと思った。日常では聞けないしうまく推測もできてない情報な気がする。▼▼記憶の危うさ、勘違いしうること、を認識してるかどうか。普段踏まえて活動してるかどうか。発言ごとの確率の上下にあたっての準備や対処の違い。確認しようと思えば確認できる記憶に関しての自信や不安の、持ちかた、と、おおきさ、あたりについて、様々な人がいそう、って印象があるのに、様々な話を聞いたことない、って思って、気になった。あと、確率はおおよそ一定値で予測しておいて心構えしてるのか、発言ごとに測り直してるのか──発言ごとに気にしているか。
▼▼記憶に関してじぶんをぜんぜん信用してなくて断言なんてしませんよ……!、なんて決めている人と、記憶は一旦すべて妥当なものとして扱うのがよいというか「ちゃんと記憶できてる手触り」がある時にビクビクできなくない……? と思う人、あたりが両極端になるかな。▼▼まあ「記憶が絶対的だと思ってて記憶を疑う習慣がまったくない人」とか「記憶が勘違いだったって経験が一回もなくて疑う習慣すら形成できてない人」が一極になる気もするけど、でも若干違うような気もした。