二重の主観

▼▼重ゲー、という言葉がボードゲーム空間にはあって、これは、重量級ゲーム、という言い回しの短縮語である。重いとはいったい……?という問いを時々ぶつけられる言い回しでもある。実際のコンポーネントの重量や物量をターゲットにした言いかたではないからだ。複雑さ、あるいは時には煩雑さ、プレイ時間の長さ、悩みどころの多さ、ルール量の多さ、あとはまあ、実際の物質的な重さ、も加えつつ、複合的に判断される。▼▼印象的に、比喩的に、重く感じる、ということを意味した呼び名だ。重ゲーって呼びかたは曖昧だし主観的なので、やめません?といった議論も時々あったりする。
▼▼といったあたりのことを見つつ──
▼▼そもそも「重い」という形容は、主観的なのか客観的なのか、定性的なのか定量的なのか、ということを思った。▼▼あるものの重量の計測は客観的なものだろうけれど、軽重という物差しは主観的なものだろう。まずここに主観客観のグラデーションがあり、しかもそれに加えて、重い、という言葉を比喩として使い始めると、更に一段階、主観側に寄ってしまう、というか、一枚、レイヤーが奥まったものになる、と言えるような形状があるんじゃないかな、って思ったりもした。主観性が二重構造になってる?と言える?