世界は称賛に値する

日記を書きます

逃げ場そして目的地(哲学)

▼▼如何なる環境変化を想像してみても、存在論にまつわる不思議は残るだろう、というふうに思っているところは、かなりある。超常的なものまで含めて驚くほどの「世界の改編」を試みてみたとしても、存在論を考えることはできてしまうだろう、と思っているところも、やはりある。存在論を、根源、最下、初手、あるいは、最終的なところ、として視ているところが、あるのだ。存在論にまつわる認識や思考、感覚、を、ベースだ、と感じていたりする。
▼▼結果として、ここに関して、立ち戻るべきところ、いつか向かうべきところ、思いを馳せておくべきところ、というふうに思っていたりするところも強くあって、つまり、逃げ道や目的地を、「視」ている。


▼▼というような「逃避先」と「目的地」を、視ることになるから(同時に視ることになるから?)、哲学が好きなんだろうな、と、少し思った。哲学を好んでいる理由の一つがこのあたりにある気がする。哲学について考えていると安心する理由、と言い換えてもよい気がする。立ち戻るべきところや向かうべきところ(と思ってしまうところ)に関する意識は、なんとなく安心する、っぽいかなあ。