馴染んできて、普通範囲が拡がる、傑作範囲が狭まる、

▼▼傑作ばっかりに触れていると、傑作さに慣れてきてしまって従来ならば傑作だという気持ちになれたであろうものが普通であるように思えてきてしまう、というのと、傑作さに慣れてきてしまって傑作の中にある細やかな要素や工夫が気になってきて──目や耳が肥えて判別できるようになってきて傑作が傑作じゃなくなってゆく、というのは、おそらく似ているんじゃないかな、と思ったのだけど──結果として、傑作と思える基準が高くなる、という挙動は似ているのでは、と思ったのだけれど、でも、別物である、と思ってしまってもよいんじゃないか、とも思った。普通の範囲が広まる、ってのと、傑作の範囲が狭まる、っていう、違い、だ。敏感になっていくほうにフォーカスした挙動、と、鈍感になっていくほうにフォーカスした挙動、という違いでも語れる気はする。
▼▼逆に、駄作ばっかりに触れているような場合において、駄作さに慣れてきて駄作に思えたであろうものがどんどん普通に思えるようになってゆく、というのは、あんまりない気がする。駄作さに慣れてきて駄作の中にある細やかな要素や工夫が見えてきて駄作が駄作じゃなくなってゆく、というのはある気がする。▼▼といったあたりの非対称性からヒントを見出せる気もした。