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物事の何ステップ目をいじるか(混乱中)

▼▼物事を改善しようとした時、どの「段階」に手を加えて「変化」させるか――させようとするか、というのは、人によって、違う。見えるところ(認識範囲)が違うし、変えられるところ(技量のおよぶところ)が違うし、向き不向き(効果のあるところや、効果的なところ)が違うだろう。▼▼現状(スタート)が同じであり、目標(ゴール)が同じでも、人によって、何ステップ目をいじればよいか、が、変わってくる。
▼▼じぶんにとってステップ3をいじるのがたいていちょうどよいので、経験から、人様に対して、ステップ3を変えましょうよー、とか言ってしまいがちだけど、人により、そして現象の性質によって、向き不向きがいくらか変わってくるのは間違いないので、助言してもあんまり効果がないことだってある、時には害にさえなりうるかも、そのあたりは注意および覚悟しておいたほうがよいのではなかろうか、というようなことを考えていたのだけど、このへんに対してそんな話しててもな……、という気もしてきた。
▼▼ステップ3がいじれる、ということを認識できていなかった相手なら、非常に有効な助言になるかもしれないし、認識はできていてもうまく動けていなかった人が、運よく効果的な挙動を取れるようになるかもしれない、ってうのはやはりあるし、そもそも、ほかのひとの話を耳にして――別の考えかたについてのことを聞いて、なるほど、と思い、なんとなく視界が開ける、なんてこと、いくらでもあるじゃん、っていうか、人と人の関係性の中じゃ無数にあるじゃん、と思うわけで、逐一気にし続けていてもあんまり意味なくない? 無数に降り注ぐ流星を見極め続けろみたいなこと言ってても無駄じゃない? なんてことを思うのだった。


▼▼助言する側の心構え心掛けの話と、話を聞く側、の、混同が起きてないっすか? と思い始めたけど、現象の構造というか、そういうところを整理したがっている、のだとは思う。混同っていうか、ぶれ続ける/ぶらし続ける、というのはやってそう。ぶれぶれなのと混同ってほとんど同じじゃないの、という気もしつつだ。


▼▼だからまあ、じぶんの慣れたステップ改善の話を積極的にしていけばいいんじゃないの? と言いたがっているのかなー、って思ったけど、そういうことでもないような。相手によって向き不向きがあるので気をつけよう、とするのは、よいことだ。


▼▼まとまりはない。落ちもない。
▼▼うーん。
▼▼ただ、ここで行なった「物事にはステップがあるよ」「どのステップに手を入れるかは人によって違うし、違わせることができるよ」というような「話」に対しては、誰に対してもわりと有効な助言になるんじゃないだろうか? こういう認識って皆が持っててよいものなんじゃないの? というようなことを思ってしまっている気が、する、んだよなー。ここに少し矛盾がないか? と思うところはあった。▼▼相手によって有効となり有害となる助言が変わってくるので、ほんとうにそれが妥当な助言かどうかは気をつけようぜ、ということを「ステップがあるね、っていう話」にはあまり思えていないのだ。
▼▼こう考えたほうがよくない? こう動いたほうがよくない? というような「助言」と、構造を整理してみせるような「助言」を、なんとなく、別の「質」のものとして、見つめている、気がしたのだった。▼▼このあたりの「対比」のことをそもそも語りたかったのでは、っていう気も、少しした。


▼▼こういう構造じゃない? という言葉は「助言」ではなく単なる「説明」になるのでは? しかし、こういう考えかたがよいでしょー、妥当じゃん? みたいな話だって「説明」と言える気もするけど……。
▼▼迷路、というものについて話すのと、目の前にあるこの迷路の形状について話してみせるのと、迷路の攻略法について話すの、の、違い、っていうことが思い浮かんだ。このあたりを物差しにしながら再整理かな……。