心の落ち着きをただ待ってる暇はなさそう

▼▼激しく鋭く胸が躍るような出来事(あるいは、時には、身の竦むような出来事)、に遭遇した時、きちんと相対しよう、最善の形で向かい合おう、とかいう思考が働いて、心の落ち着き、に期待してしまうところがあるな、と気づいた。心の準備が整うまで待ってしまう──時間を置こうとしてしまう。すぐに待ちたがる癖がある。
▼▼っていうのが駄目っぽいぞ、っていう駄目出しを思ったのだった。
▼▼具体的に言うと、億劫だ、面倒だ、と、家事なんかに対して思った時に、少し待てば心の準備が整って、やる気になるだろう、って待ってしまうような場面がまずあって、このことに気づいたのと同時期に、好きな漫画や小説、あるいは日記、などの新作が出てた時に、モッタイナイ!と思って買うのを後回しにしてしまう、という場面に遭遇して、この二つは同根なんじゃないの? と、思いついたのだった。▼▼でもって、新しいことを「これやってみない?」と誘われた時、即答を避けがち、って習慣も思い出して、ははーん、これも同じ根っこだな、と思ったのだった。
▼▼人間には時間制限がある、っていうのと、好機は一瞬、っていう話を組み合わせると、この「後回しにして最善を探ろうとする癖」──「待機行動が自動的に初手になりがち」は、やはり、あまりうまく肯定できない、とはやはり思うのだった。よく聞くけどやっぱそうだよね、って思うのだった。▼▼常態の気構え、として見ると、やはり難点おおきい気がする……。▼▼長所短所変換ソフトを噛ませることによって、多少、使いどころを拡げることはできそうだけど……。すぐ待つ習慣は駄目かもだけど、使いかた次第だろ、とは、まあ、言うには言える。
▼▼経験則として最近は、なんていうか、おそらく、心の落ち着きを待つようなことはやめたほうがよい──「心の落ち着きなんてどうでもよいだろ」、っていうのと、「心の落ち着きを「待つことによって」得ようとするのはやめておけ──自ら進んでサクサク心の落ち着きを獲得するような落ち着き術を習得しようぜ、みたいなことを思い始めてる、学び始めてる、ぽいところがあるかなー。