言葉の気持ちよさの分解

▼▼言葉の気持ちよさ、には、口にする時の言葉の気持ちよさ、と、耳にする時の言葉の気持ちよさ、があるのかなー、って思いついて、別個のものであると切り分けができるとしたら、趣味嗜好も切り分け可能だったりするのかな? と考えてみた。▼▼口腔的に気持ちよくて妙に言いたくなるようなフレーズ、と、耳孔的に気持ちよくてなんとなく耳に残ってしまうようなフレーズ、に対しての、趣味嗜好(好きだと思わせる器官)は、同じところになる? とまではいかないにせよ、似たところのものになる? あるいは、完全に別物だったりすることもあるのかなー。
▼▼言葉の気持ちよさ、ってことで言えば、意味としての気持ちよさ、というのも、あるんじゃないかなー、って思った。聞こえのよい、耳障りじゃない、言葉、だ。思わずそればかり聞いてしまうような、欺瞞や依存というようなものも含めつつの、意味としての気持ちよさ。じぶんのありかたを(時に都合よく)肯定してくれる言葉。じぶんがぼんやり思っていたことを言葉にしてくれた時の気持ちよさ、など、だ。
▼▼耳で聞く時に限るかもしれないけれど、そもそもの、声――声音――声色、としての気持ちよさ。声音や声色に感じる快感、というのも、別枠で、ありうる、か。▼▼人の声に限らず、じぶんが実際に「言う」時に、骨を通して頭の中に響く「声」というのもあるはずだから、そこに対しての気持ちよさ――声を出した時に、じぶん頭の中に響く、じぶんの声の、気持ちよさ、というのもありうるんじゃないか、って思いついた。
▼▼そうそう。あと、黙読というか、黙っていて、でも、脳内に音を響かせながら、文字を読む、という時に、じぶんが物理的に発声してそれが頭の中に響くのとは、別の、黙読の時に頭の中に響く音、に、なんだか気持ちよく思えるぞ?って思うような快楽も、ありうるだろ、って思った。黙読時の脳内イメージボイスの気持ちよさ、だ。
▼▼脳内イメージボイスは、なんか、人によって性質というか、スタンスや環境が違うような印象があって、そもそもイメージ音声って基本的に発生しないんですけど……、というような人がいる気がしていたりは、する。こういった人も「脳内イメージボイスを出そうと思えば出せる」のか、それとも「脳内イメージボイスなんて存在しない」のか、そのあたり、よく判っていない。


▼▼脳内イメージボイスが、快楽音かどうか、という違いによって、言葉の好きさが変わる、というか、好きになりかたが変わりそう、って気がしたのだった。詩歌や短歌がこのあたり、ちょっと影響おおきく受けているのでは、というのも同時に考えた。