言葉が持つ、雰囲気的側面、掴み切れないなってよく思ってる

▼▼単語Aを見た瞬間/聞いた瞬間、逐一、電気ショックで痛みを与える。という実験を実行して、単語Aと痛みを結びつける──認識内で無理矢理セットにする。言葉と同時に痛みが──あるいは、不安、恐怖、嫌な気持ち、不快感、痛みのイメージが、自動的に想起されてしまう状況を構築してみせる。▼▼って実験を試してみた時、単語Aと、痛みや恐怖や不快感、痛そうさ、は、どういう関係になるんだろう、って改めて思った。言葉が持つ意味、や、言葉の論理性や定義、とは異なる、言葉の印象、言葉の雰囲気、になるかなと思った。▼▼思い出の言葉──思い出すだけで切なくなる言葉。切ないイメージが脳に溢れる言葉。▼▼逆に、耳にしただけで怒りたくなるような嫌なフレーズ。
▼▼詩、って、つまり、このあたりを扱うもの? っていう疑問的認識があって、この理解で合ってる? とかは頻繁に思ってる。詩情。言葉の詩的側面、情緒的側面。
▼▼この言葉の意味は? 論理的な位置づけ──定義は? というようなスタンスで言葉に向き合うことはよくしている、のだけど、言葉が持つ雰囲気や印象、イメージ、とかもあるよね? これは何? というところにも最近は目を向けたがるのだった。
▼▼人類が真面目な話/真剣な話/重要な話をする時に出てきがちな単語、なんて思える経験則が築かれているがゆえに──話にこういった単語が出てきたら結構ヤバイから警戒せよと思わせられているがゆえに、この単語を耳にしたら神妙な面持ちになる──鋭い意識が向けられてしまう、というような状況を起こす単語効果も想定した。これは言葉の意味?ではないよね?意味とは違う?どう違う? ▼▼経験的に、この言葉と、どういう状況で出会ってきて、どう思えてるか。
▼▼前述してきたような「単語や文章が持つ雰囲気」を利用して作られる詩があるとするなら──あるいは、活かして作られたものの一つが詩である、とするなら、言葉の雰囲気の共通認識もあるってことだよな、とも思った。皆がこの言葉を嫌ってそう、皆がこの言葉にノスタルジーを感じそう、皆がこの言葉で嫌な思い出を想起しそう、等々の、言葉にまとわりついてるものを想定可能にする認識が、あるんじゃないかと思う。じゃないと人に伝わる詩を書けなくない? って思った。
▼▼経験的にあるとも思う。こういう推測を使って生きてる気がする。
▼▼とすると、単語や文章ごとに皆様が同じようなイメージを持ちがち──ある単語や文章が使われる場面って人生経験的にわりと似たようなものになりがち──言葉の使用率においても文化のようなものが顕現しちゃいがち、ってことだよな、とも思って、なかなかおもしろいな、と思った。▼▼倫理的感覚が人類でおおむね似るのと同じやつかな。
▼▼言葉の雰囲気に関する共通認識なんて糞食らえ、みたいな前提のもとで、詩はそれでも書かれ、偶然、あるいは奇跡のように運命のように、届くかも? もしくは人によっては、むしろ届かないでよい、というもののために置かれるのだ、というようなありかた認識も、まあ素敵かな、ありかな、っていうのも思った。未確定のふわふわもよいし。