混乱した文章書いて、一週間経って読み直したら、普通に答えに至れる時

▼▼混線と混乱に対処しきれなくて、道理を綺麗に通せていないような、動揺とふらふらの文章を書いてしまってから、のちのち落ち着きと忘却を得たあたりで読み返した時、あらあらコイツ変なこと書いちゃってるな、ここはこうだしここはこうのはずだから、この時書きたかったのはこれだったんだろう、だからこう書けばよかった……! なんていうふうに、粗雑なものでも文章として一回現出させてみたことで、後日、客観視する風情で視野内に収めることができて、フィードバック的に、論点や文脈の全体像を掴むトリガーになってくれる、っていうことがわりとあるのだけど、まあ逆に、結局、少しくらい時間が経過してくれてても、混線と混乱は同様に続いてて──抱えてて、あ、そうだ、じぶんは前もここに突っ込んでたんだっけ……、あーあ……、爆死してる……、なんかうまく書けてないことだけはすごく判るんだけど……、でも現状のじぶんもまだ判らないので改善案は提示できないぞ……、なんてふうになることもまあまああって、まあ前者の場合に関しては、文章にしたことにで整理できた、と言いたくなるところはあるかな、と思った。
▼▼文章を使って整理するぞ、って試みと、文章書いてたら整理されたぜ、っていうのは違う、ような気がしてる、のかなー。▼▼まあ違うのは違うだろう、けど。
▼▼文章で整理する。文章化で整理される。選ばれた単語および結果、が、類似しているから、類似の話題に見えるけど、実際は、違う話なのかも──言葉の違う機能を使ってるのかも……、みたいな違い「ではない」ような気はしている。▼▼機能としては同じものの話で──同じ「言葉が持つ整理機能」の話だけど、働いている瞬間、段階、タイミングが、違う? ような? 最初からの整理志向と事後的な整理性。言葉は勝手に整理寄りの動きを見せるけど、これを主軸に使うか、勝手に発動されちゃう部分があるか? ?