国家経済人類と、一緒に発展(発展の正しさの薫り)

▼▼国家が死なない、経済が死なない、人類が死なない、富む、発展する、といった物事を「善」「正しさ」だと見做す機会って、生活圏内だとほんとうに多いので(そして人生はほとんど生活圏内なので)、いやもう『ぜんぶ』「正しい」方向性でしょー、というような気分で過ごしてしまいがちなのだけど、いやもう『ほとんど』「正しい」方向性でしょー、が、ぎりぎり言えるところであり、絶対的な「正しさ」がそこにあるわけじゃないんだよ、ということを、改めて思った。
▼▼国家、経済、人類、が、じぶんに与えてくれているもの、助けてくれているもの、依存具合、相互関係、あるいは害になりうる可能性、等々が判ってくれるにつれて、協力せんとなー、っていう気持ちが出てきて、そういった、協力、義侠、慈愛、公共、みたいな気持ちが、そして、一緒に破滅するのは嫌だー、という嫌悪や忌避が、結果としてそこに「正しさ」的なものを見出したがってしまうところがある、というか、製造してくれてしまう雰囲気がある、のだけど、そこに「絶対」みたいな匂いまで乗せてしまうのは、やりすぎだし、寄りかかりすぎ、サボりすぎ、だ、と、思った。