恋してる業界には、些細な一助を託せる気持ち

▼▼ウェブ日記文化圏に対する一助になればー、的な精神ではてなスターを押そうと決意してるような心理があるなあ、と気づいた。無意識に思えちゃってるな、と思えた。じぶん一人で──個人レベルでとりあえず頑張って動きましょう、的な標語が、ごくごく自然に発想できている。日記を書こうと皆が思うような文化が衰退したら困るので……、というワガママ混じりの背景が、自然体で備わっている。
▼▼と比較すると、国の選挙における一票一票に対しては、同じことだ、ってあんまり明確に思えてないなー、と思った。文化の繁栄と衰退を動かす一行動、って認識できるほどの前のめりさがない。でも構造は同じなんではないの? って思えたりしたのだった。恋は盲目というか認知バグ的な雰囲気、かな……。

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▼▼手間(スターはクリックするだけ/選挙は外に出かける)と手数(スターはなんだかんだで沢山推せる/選挙は期間も空きつつ、一票だけ)から来る違いなのでは?
▼▼手間の違いは確かにあるかも……。文化を繁栄を願ってスターを押すのに「毎回準備して外出すること」が必須だったら、間違いなく現状より動きは鈍くなるだろう。
▼▼手数の違いは微妙なところかなー。一年に一回しか押せないよ、って縛りがスターに出来たとしても、押すことを別に嫌がりはしないと思う(動ける回数が少ないので動いても無駄でしょ……、些細な違いじゃん……、という心理には向かわない)のだけど、結局一年ごとに押すということを憶えてられないじゃん、とか、忘れずに憶えておくために記録しておいたりする手間などには飽きそう、って思えた。

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▼▼些細なじぶん一人の行動が物事や人様に影響を与えうるか、という認識型を──「問いとスタンス」を、様々な物事達に対して、ぜんぶがぜんぶ同類であるかのように、安直に展開しようとするの、若干愚かなんでない? って気が、試行錯誤してるうちにだいぶ湧いてきた。シングルスタンダードがよい、と、ここに対して思うの、むしろおかしくない? ▼▼シングルスタンダードなんて言葉なくない?(余談)
▼▼現象Aを前にした時には「大勢に影響を与えることだってできるぜ」とか思って積極的に動いてるのに、現象Bの前に立つと気持ち的に妙に諦めちゃって消極的になって「どうせ……」とか思っちゃってるの!なんなの!駄目じゃん!矛盾じゃん! って指摘、隙がおおきすぎない? ▼▼構造が同じである、とは、まあ言おうと思えば言いうるのかもしれないけれど──遠くから薄目で見れば似てるところもあるのかもしれないけれど、同じ、に見えるまでの縮尺調整やりすぎじゃない?
▼▼ぼくが何をしたところで世界や社会なんてまったく変わらないぜとか、こんな地味な親切なんてしたところで憧れのあの人がじぶんのこと好きになってくれるわけじゃないとか、ぜんぶの場面で統一しろって言われたって困るよというか、まあやっぱり、物事ごとに違うと感じられる違いが──理由が、あるのでは、と思い直したのだった。
▼▼母数や試行数から想像できる確率の小さな違いかもしれないし、前述したような恋は盲目的な好意(好きな場は衰退しないで欲しいとか)の強さの違いもあると思う。
▼▼いずれにせよ、同じような構造だと言おうと思えば言えるけど、言わないようにしようと思ったら言わないでいられるようなところこその「違い」から出てきてくれてる印象の差が「じぶん一人のささやかな行動一つ、やる意味あるかな?」って判断に、せっかく揺らぎや多様性を与えてくれているのに、さっきはこっちで「意味ない」とか思って動くのやめてた癖に今度はあっちで「やる意味あるね」とか思って動いてやがる! こいつはヒドイ! 同じにしろ! って攻めてどうする……、ぜんぶをぜんぶ一緒くたにするのは流石に乱暴すぎるだろ……、と反省したりしたのだった。